八丈島便り NO,77~82 2009・1・21
「抜き船の場0077」 「抜き船説明板 0078」
「抜き船 0079」
宇喜多秀家が流されてから明治4年(1871)に至る265年間に八丈島には1917名の流人が送られて来た。
流人の中には漁船を盗んで脱出を計る物も居たが、これを抜き船と呼び11回も記録されている。
しかし追手に捕らえられたり、波浪に呑まれたりして殆どは失敗し成功した記録は1件だけである。
ここは漁船も多く北側に面していて抜き船に好都合の所だったらしい。
(説明板より)
東京の南約290キロの八丈島に送られた流人第一号は、宇喜多秀家それから長い年月流刑地であった島、抜き船や場所は当時を,想い忍ぶ八丈だよりの貴重な写真の一枚になった。
「地図表示板0080」
「ハイビスカス 0081」
「岩の標識 0082」 八丈富士854m.