日本武尊・白鳥陵 2010・2・10
「日本武尊白鳥陵」説明板現在地より写す 羽曳野市 10,2,8
「羽曳野市説明板」
第12代景行天皇の皇子で幼名を小碓尊と行った。
兄、大碓皇子とは双生児だあったとも言われている。
この兄は父天皇が召し上げた女性と通じたりして朝夕の食事にも出てこない、そこで注意してやれと父から命じられた小碓尊は兄が厠(トイレ)に入るところを捕まえて手足をもぎ取って殺してしまった。
小碓皇子を恐れた天皇は彼を西国征伐-東国征伐の旅に追いやる。
南九州熊襲、東北の蝦夷を討って大和朝廷の支配地を広げた、しかし東征からの帰途、伊吹山の神にやぶれ伊勢の国(三重県)の熊褒野で病死。
孤独にその短い人生(30歳くらい)を終える。
しかし彼の魂霊は美しい一羽の白鳥へと姿を変え羽ばたいて行く、このことから日本武尊の古墳を白鳥陵と呼ぶ。
「古代の英雄ヤマトタケルノミコト白鳥陵」
白鳥が熊褒野を飛び立ち最初に舞い降りたとする伝説地の一つが琴弾原(奈良県御所市冨田)
白鳥陵 御所市冨田 08,1,7撮影
辞世の句
大和は 国のまほろば たたなづく 青垣 やまこもれる 大和し うるわし
日本武尊を祀る「白鳥神社」 羽曳野市古市
全国各地に伝説があるが、終焉の地三重県熊褒野の白鳥陵には一度訪れてみたい。
2010,2,8散策