一須賀古墳群 2010・3・4
「寛弘寺古墳(南河内郡河南町)から移籍された古墳」10,2,20
6世紀後半築造の古墳が主で260基あるといわれている、見学できるのは40基。
この横穴式石室にはかつてこのような家形石棺と組合せ式木棺が置かれていたようです。
なおこの石棺は龍山石を使用して復元したもの。
「管理室に展示されている石棺」
「須恵器窯跡」
古墳時代や奈良時代には、硬くて青灰色の須恵器と軟らかくて赤渇色土師器が使われていました。
5世紀になって朝鮮半島から伝わってきた須恵器は1000~1200度の高熱で焼くために、穴窯と呼ばれるトンネル式の窯が必要でした。
穴窯は丘陵斜面を幅しで構成されています。
古代に陶邑(すえむら)と呼ばれた今の泉北ニュータウンを中心とした地域に須恵器生産が定着するは前は数ヶ所の地で初期の須恵器が焼かれていた事が最近の調査で分かってきました。
須恵器生産の技法をたずさえてきた渡来人がそれにふさわしい場所を選びながら,河内や和泉の地を転々としていた光景が想像されます。
この一須賀一帯にも5基の須恵器窯跡が確認されており、そのうち2基がここに残されています。
今は保存のため埋めていますが昭和49年に灰原を試掘調査した際、器台や甕(かめ)の破片が土出しました。それらによって一須賀窯が5世紀前半のごく初期の須恵器を焼いた窯であることが判明しました。
(説明板を写す)
20年ほど前に一度来たが窯跡は知らなかったので今回は意義ある散策が出来た。 近つ飛鳥博物館よりの山道には梅の木が沢山植えられ五分咲きくらい、一須賀古墳には桜が多い。
満開のときに来て見たい。