高野街道1 2010・12・1
ここは七十年前に父に連れられて来た懐かしいところです。
高野街道の巡を追って出来ないが、気の向くまま、足の向くままに少しでも昔の面影を辿りたい。
「一里塚」 富田林錦織(にしこうり) 10,11,23
史跡 東高野街道錦織一里塚
所在地 富田林市錦織江畑(7-1・8-2)
一里塚は一般に方五間(約九メートル四方)の塚で、街道の里程の目安として設けられた。
塚にはふつう榎か松を植えられそのこかげは旅人のよい休み処となった。
この塚は街道の両側に各一基築かれていたものと西塚の頂には一本松があった。
西塚は辺長約九メートル、高約二メートルの方形推工の残部が見られる。
西塚の上と南側とには石造宝簴印塔が建てられているが、塚上のものは、承応二年(1653)南側にものは宝永六年(1709)建立の記年があって、塚の築造はそれ以前であることを証している。
東高野街道の一里塚として、不完全ながら一対を残しているのは、大阪府下における唯一の例である。
なおこの附近の旧街道は石川沿いに南下し、西塚の東から南側をめぐって西向きするものと、そこで南して坂になってくだるものとに分岐していたようである。
昭和四十五年二月二十日
大阪府文化財保護条例により指定
大阪府教育委員会
富田林教育委員会
(史跡 説明板)
南より望む 前の道は旧R170号線
北より望む
北側の宝簴印塔と石佛
多くの高野参りの旅人がこの前で手を合わせただろう、我もこの前に立ち七十年の幼き思い出に更けた。
(昔の高野登山道は、京より淀、四條畷、古市、富田林、一里塚から市、原、古野、に入る、いわゆる東高野街道と、大阪、堺、より狭山,与通を経て原、古野に入る西高野街道があるが、いずれも河内長野市原の南で一つになり、三日市,紀見峠、橋本,町石,を越えて、高野山に至る道)
ゆっくりと散策してみたい。