かわちながの百景047 2011・6・27
大屋船 ー今は昔ー
天野山から日野を経て、山越えに大屋船にたどりつく。
山路もさだかでない。
いつきても、わびしい山里だが、長野では私のいちばん好きなところ。
周囲からまったく隔離されて、三軒の農家がやっと生計をたもつにしても、この盆地はせますぎる。
春が来ると女の子がひとり入学するので、里の小学校への三粁の山路が今から心配だと老婆は声をひそめる。
(ここは住宅団地に開発されて、絵の面影は今はない。ただバス停溜所と橋にその名をとどめるのみ)
井上喜代一氏 文
大屋船バス停」 11,2,21
当時の橋と住宅街
日野から大屋船へは細い山道、加賀田からは幅一メートルほどの道があって、その奥に三軒の大屋船集落があったらしい。
一キロほど人里はなれた所になぜと言う疑問もわくが住めば都のたとえもあり、祖先伝来の土地を守ってこられたのでしょう。
大屋船集落を背に撮影
ここは加賀田から大屋船に入る入口、幅一メートルの道のところかも、残念ながらこの集落跡がどこにあるのかも知ることが出来ない発展の大屋船です。