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beyonyoの旅日記

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出歩くのが大好きなbeyonyoの写真の記録

かわちながの百景049 2011・7・7

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長野小学校の南隣り、こんもり茂った鎮守の杜がそれである。
昔は、小学校の敷地が表参道であり馬場先であったので、運動場の北端に、石鳥居と神輿台がその名残をとどめている。
その後道路が拡張され、神域は狭くなったが、それでも杜の中は、車の喧騒をさけて静かで心落ち付く。
境内には弁天宮や稲荷大明神が賑やかに同居され、最近また戦没者慰霊塔が建った。
10月10日の秋祭りの宵宮には、150年の伝統をもつ西代神楽が奉納される。
これは有名ですばらしいものである。
                         井上喜代一氏   文


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              「西代神社」 10,12,16
先生のスケッチされた場所より少し右により過ぎたのと、お百度石が新しく建ったのでちょとイメージの違う写真になってしまった。

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             旧R170号線沿いより正面を望む

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            神社前より紅葉が残る烏帽子山を望む

延宝七年(1679)西代藩が膳所藩から一万石を分知され、本多忠恒初代藩主が誕生します。
二代目忠統が享保十七年(1732)に神戸(かんべ)へ移封されるまでの五十四年間は当市に大名が置かれたことになれます。
忠統は名君徳川吉宗のもとで幕府に参画し、享保の改革の推進役の一人として大活躍しました。
吉宗は自分の引退にあたり、忠統の若年寄としての永年の功に報いるための五千石を加増し、城持大名に昇格させました。
いま市内に残る伝統芸能のひとつ「西代神楽」は藩主が伊勢神戸へ国替え栄転以来伊勢国との交流の中で河内に伝わったもので、藩主の徳をしのび今日まで伝えられてきたといわれています。
                          (史蹟案内) 南 昭雄 文


日本で十一番目に文化財の多い河内長野市、ここにも過去の繁栄を偲ぶことが出来た。
今年の秋祭りの西代神楽は、是非拝見したいものです。
by beyonyo | 2011-07-07 01:17 | かわちながの百景 | Comments(0)

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