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beyonyoの旅日記

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出歩くのが大好きなbeyonyoの写真の記録

飯岡助五郎のお墓  2012・1・13

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             飯岡助五郎の菩提寺 光台寺  11,12,23
武蔵国江戸郷桜田村に一庵をむすびしが、徳川家康関東に來り江戸城大拡張のため移転を命じられ、下総国海上群飯岡村に寺基を移し今に至る。
因みに本堂元禄13年(1700)建立は徳川千姫(豊臣秀頼夫人)の死により、その御殿「吉田御殿」を解体しその一部を江戸より運搬し建立したものである。

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                        飯岡助五郎のお墓
                      法名 「発信院釈断流居士

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飯岡助五郎は天保水滸伝で世に名高い,遊侠の親分、この頃笹川繁蔵という博徒が現れ先輩の大親分である助義を蹴落とすために花会を開いたり、若さに委せて無謀にも助五郎の縄張りを荒し、助五郎の帰宅を襲ったり、繁蔵は子分4~5名と助五郎の本宅を襲撃するに至ったので、それまで我慢していたが、関東取締役より召捕状を受け8月6日夜半利根川を川舟に乗船して、総勢百数十名にて笹川へ向かい、笹川岸にて笹川方百余名と、大乱闘となったものである。
これを「天保水滸伝」と称したのであるが、作者の曲筆によって、助五郎は悪親分に仕立てられてしまった。

助五郎のお墓より少し離れた定慶寺に笹川繁蔵の首塚がある。

昔、浪曲「玉川勝太郎」の十八番の名調子、利根の川風まこもにゆれて・・・
この舞台となった利根川のほとりに眠る助五郎のお墓の前に立ち、まさかここ来るとは予期せぬ事で突然ドラマの仲間入りしたような錯覚を感じた。
by beyonyo | 2012-01-23 09:47 | 房総半島の旅 | Comments(0)

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