一乗谷・朝倉氏遺跡 2012・7・19
朝倉氏遺跡 福井県一乗谷 12,7,15
540年前戦国大名朝倉氏が五代にわって103年間越前の国(福井県)を支配した城下町。
しかし天正元年(1573)織田信長に敗れ火を放たれその長い歴史の幕を閉じる。
城下町遠望
屋敷跡
四代朝倉孝景の頃の廻遊式林泉庭園
諏訪館跡庭園
五代朝倉義景の妻「小少将」の館で遺跡の中でも最も規模の大きいもので中心の4m余りの巨石には江戸時代に彫り込まれた三代朝倉信景、四代孝景の法名が残されている。
盆景の参考になる実生の山もみじの老木が印象に残った。
諏訪館の手前の曲り角に苔蒸した庭石周りの景色と一致し岩そのものが盆景になっている。
一乗川を境に復原町並が建ち並ぶ
道右の屏の外は山裾までの幅で屋敷が残っている、井戸とトイレの数多いのに驚いた。
町家を形成している通りには武家屋敷を始め紺屋、数珠屋、鋳物師、檜物師、刀研ぎ師、の職人の家や坪庭のある医者の家などが建ち並んでいる。
義景館より調査が開始され武家屋敷、寺院町屋跡など職人屋敷道路に至るまで町並みがほぼ完全な形で発掘され全国で五ヶ所しかない国の「三重指定」となった。
(特別史跡・特別名勝・重要文化財)
朝倉義景公の墓所
義景は信長に攻められ一族の景鏡の裏切りで最後逃げたところで自害させられた大名。
20年ほど前にツアーで来たが十分な散策が出来ずそれ以来もう一度来て見たかった遺跡
この度の散策は戦国時代の跡を堪能できたが、それゆえ五代目義景(41歳)生涯の哀れを偲ぶ散策になった。
朝倉義景辞世の句
「七転八倒 四十年中 無他無自 四大本空」
「かねて身の かかるべしとも 思わずば今の命の 惜しくもあるらむ」