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beyonyoの旅日記

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出歩くのが大好きなbeyonyoの写真の記録

大坂夏の陣遺跡巡り(三)  2013・12・9

大坂夏の陣遺跡巡り(三)

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    豊臣方武将 薄田隼人正兼相の墓  13、12、3

                 (羽曳野市指定有形文化財)

ここは大坂夏の激戦地であり薄田隼人正兼相の最後の地である。
元和元年(1615)5月6日、徳川方の大軍を迎えた豊臣方は籠城は不利として、玉手山付近の隘路で迎撃する作戦をとった。
しかし、この方面の薄田兼相・後藤又兵衛・真田幸村・毛利勝永軍は、四隊合わせても一万たらずの上、折からの濃霧のため定刻に合流できず、激戦の末、10倍近い徳川軍に撃破される。
薄田・後藤の両将も遂に討死、翌日、大坂城は落城し夏の陣の幕を閉じている。
薄田兼相は豊臣秀吉・秀頼の二人に仕えた武将で、後に岩見重太郎として伝説化されたほどの剛勇の士であった。

この墓地は明治18年、兼相の子孫にあたる広島藩主浅野家の一族によって建立され、歴史の一頁を飾る史跡として平成8年に浅野家から羽曳野市に寄贈されたものである。

                               (説明文を写す)

初めてここを訪れた時は60年ほど前であるが、今回で四回目近年は訪れる度に立派になっているのに驚いた。

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   お墓の南側はイチジク畑が続く (道明寺付近はイチジクの産地である)

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             薄田隼人の終焉地よりPLタワーを遠望

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              薄田隼人の本陣跡(誉田八幡宮)

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                      誉田八幡宮

ここを本陣にした薄田隼人は徒歩10~15分ぐらいのとこが終焉地になった。
歴史に残る「大坂夏の陣」も僅かな時間で集結した事が分かり、豊臣方にとって哀れな結果だった事を再認識した。


                    大坂夏の陣遺跡散策(四)につづく



園芸、早咲きの菊の鉢を整理する。
台所の出口の踏み板が壊れたので新しいのを作る。
7、388歩

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by beyonyo | 2013-12-09 06:26 | 太閤記 | Comments(0)