平野郷 ① 2014・12・10
「平野郷」
大阪で一番古い街といわれ、原始時代から現代まで全ての遺跡遺構がのこる町
戦国時代町の安全を守るため周囲を、豪と土塁で囲み自衛目的とした「環濠集落」ができた。
杭全神社を入れて周囲に13口の出入り口を設け、そこには地蔵堂が建っている。
平野郷① 樋尻口門跡と樋ノ尻口地蔵
樋ノ尻口地蔵 大阪平野区 14,10,11
大坂夏の陣慶長二十年(1615)5月6日の道明寺合戦に敗れた豊臣方は真田幸村隊を殿軍(ぐんがり)として大阪城に退却することになり、豊臣方を追撃する徳川家康がおそらく平野にて補給と休息をすると考えへ幸村は樋尻門の傍にあった地蔵堂の下に地雷火を仕掛けて家康を待ちました。
案の定家康が来ましたが、爆発する寸前にトイレに用達にその場を離れたとき爆発、急死に一生を得た。
地蔵堂のお地蔵さんの首(当時は木造)は家康の身代りとなって首が全興寺(せんこうじ)400mまで飛んでいったと伝えられ「首地蔵」として大切に祀られている。
〒ポストの前が「樋尻口門跡」
この地蔵堂を一点に散策に行ったが、以外な出会いに親切な方が3~4時間の間平野郷を案内して頂いた。
杭全神社の境内にある平野公園を掃除されていたのに、昼食もせず長時間歩いての説明に感動した。
大変猫好きな方でのらちゃんも懐いているやさしい方だった。
もう一度お礼方々、会いに行きたい・・・
★園芸、冬の仕度で数珠サンゴ剪定,家中に取り入れる。
1,480歩