塙団右衛門五輪塔 2016・2・25
塙団右衛門五輪塔 泉左野市樫井 16,2,11
大坂夏の陣の樫井合戦で討死にした塙団右衛門の墓所がある事を走行中知った。
尾張の国羽栗の人で加藤嘉明に仕え、朝鮮の役で軍功を上げ、名を知られたが関ヶ原の戦い(1600)以後浪人して僧となり鉄牛と号した。
大坂冬の陣(1614)が起きると豊臣方に属し、大坂城に入城した。
慶長20年4月夏の陣がおこると豊臣方は徳川方の紀州和歌山城主、浅野長晟(ながあきら)の軍と戦うべく泉州に進んだ。
団右衛門は先鋒隊をひきいて4月29日早朝、熊野街道を南下し、待ち構える浅野軍に突入した。安松、岡本、樫井、で激戦が展開されたが大坂方は敗れ、団右衛門はこの地で討死にした。ときに48歳という。
団右衛門を討ったのは、上田宗箇、亀田大隅あるいは八木新左衛門などの説があるが一定しない。
五輪塔は寛永8年(1631)に紀州の士、小笠原作右衛門が造立し、石灯籠は、八木新左衛門の孫が奉納した。250回忌(1868)には団右衛門の子孫の櫻井氏が補修し周囲を整え当地の観音寺に位牌を納めた。
以後当地の人達により守られている。
(いずれも説明板より)
塙団右衛門を討った人の孫が灯篭を奉納している資料を読み昔の人情に感動した。
五輪塔の前の街道
この付近に淡輪六郎兵衛の墓と樫井古戦場跡がある事を知り後日散策してみたい。
★メダカの産卵するシュロの巣を7個作る。
6,111歩