王者のひつぎ説明会 2018・11・9
王者のひつぎ説明会 大阪狭山池博物館 18,11,4
特別展「王者のひつぎ」があるのを知り説明会に参加する。
狭山池は周囲約3,4キロで、川をせき止めたダム式のため池としては国内最古。
奈良時代の僧・行基や東大寺再興で知られる鎌倉時代の僧・重源が大規模に改修している。
巨石は、大正時代末~昭和初めと、昭和末~平成の初めに行われた堤防の改修工事で計20点以上見つかった。
多くが長方形で、最大のものは長さ2,6m幅1,3m高さ1m。
内部がくり抜かれ、遺体を納める石棺の本体とみられる。
水路にするため、石棺の前と後ろの壁面を削り取って「U字溝」の形にして利用。
家の屋根の形をした石材もあり5~6世紀の古墳に見らえる「家形石棺」とされている。
これから先未来になると50ヶ以上の石棺が見つかるかもしれない。
狭山池石樋の蓋
西方の堤に置いてある石樋の蓋に使ったが慶長修理のとき石樋群から離れて堤の下に埋めてあったので昭和改修のときに発掘したのを池の東に住む並松町民がこの位置に移した、制作は粗く未完成の石棺材利用かと思われるがこの点は良くわからない。
(説明文を写す)
この石樋は奈良市東大寺の僧・重源が建仁二年(1202)に伏せたもので富田林のお亀石古墳付近から運んできたと現地では伝承する。
石棺身の両端を切り取って並べ蓋を置いて樋管に利用した。
昭和初期池の改修前は中樋筋の水路中に亀形の蓋石だけが露れてあったのでこれも昔からお亀石という。
(説明文を写す)
狭山池中桶放水部の石棺群
飛鳥時代に築かれた狭山池でかつて発掘された水路の巨石は、その大きさや形容から古墳時代の大王クラスを葬った石棺とみられる。
府立狭山池博物館の西川寿勝学芸員が
巨石の特徴をもとにさらに制作時期を絞り込み被葬者に迫る説を打ち出した。
仏教伝来で知られる欽明天皇、聖徳太子の弟の来目(くめ)皇子らが候補という。
狭山池の巨石は、古墳から運び出した石棺を水路に転用したと考えられるが、古墳を特定する研究はほとんどないという。