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beyonyoの旅日記

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出歩くのが大好きなbeyonyoの写真の記録

2017年 02月 13日 ( 1 )

東弓削遺跡(由義寺跡)の発掘調査(遺跡確認調査)現地説明会

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          東弓削遺跡 全景  八尾市東弓削3丁目 17,2,11


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                         産経新聞2月10日朝刊
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      一辺が約20mの七重の塔の基盤の説明に多くの人が聞き入った。
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平成28年9月に東弓削遺跡において、由義寺に関連すると考えられる奈良時代後期の瓦が多量に出土しました。その後、平成28年11月から北東の隣接地において、寺院の遺構確認のための調査を行った結果、瓦の集積の広がりと一辺20m(天平尺で約68尺)の正方形の塔の基壇を確認しました。
塔の基壇は、平城京にある東大寺東塔の24m(約80尺)に次ぎ、大安寺の約21m(約68尺)や諸国の国分寺に匹敵する大きさで、東大寺や大安寺と同様に七重塔であった可能性が高いと考えられます。
今回の調査で、日本の正史である「続日本紀」の770年のころに記された称徳天皇と道鏡が建立した由義寺の場所が明らかになりました。
さらに称徳天皇がこの地に置いたとされる幻の都「由義宮(西京)」を考える上でも重要な発見です。
             調査の成果 説明会パンフレットを写す
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                            説明パンフレット
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                   塔は手前の方に倒れて多くの瓦が出土している
「塔が倒れた理由」
基壇周辺から出土した瓦や凝灰岩の切り石、壁土などは、火を受けた痕跡が見られます。
また、焼けて割れていますが、塔の頂部に立てられた「相輪」の一部である「伏鉢」か「請花」とみられる直径約90cmに復元できる銅製品も出土しています。
これらの事から、時期は不明ですが、塔が火災で焼け落ちたことがわかります。
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                   出土品展示を見るのに約一時間待ち
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同和開珎(初鋳708年)16枚、萬年通寶(初鋳760年)一枚、神功開寶(初鋳765年)一枚が掘込地業の石の間から出土しました。
寺院建立に際して、地鎮のために埋められた「鎮壇具」の一部らしい。
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                          塔の上段部の飾り具

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出土瓦の多数を占める東大寺式と興福寺式のうち、東大寺式は西大寺の瓦に似ていますが、同笵の資料はなく、由義寺のために造られた可能性があります。また、四天王寺(大阪市)で使われた瓦や金寺山廃寺(豊中市)と同笵の瓦も出土しています。


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 遺跡の横は、外環状線で送電線の鉄塔が約50mそれよりもまだ20m高い塔が建っていた説明を聞いて、当時、塔からの眺めも、遠い場所からの塔の眺めも素晴らしかったとロマンが湧いてくる。

称徳天皇(当時は孝謙上皇)聖武天皇の娘、西大寺や西隆時の建立百万塔の製作などの仏教を重視した政策を進める。
病弱だった孝謙は761年近江の国、保良宮(大津市)への行幸の際、道鏡の治療を受け、道鏡を重んじるようになる。
孝謙の寵愛を受けた道鏡は法王となり、出生地である河内(大阪)八尾弓削に3回行幸し、770年のときに由義寺の塔の建設に伴い、関係者に位階を与えている。
道鏡は和気清麻呂によって否定され、翌宝亀元年、称徳天皇が崩御すると道鏡は下野(栃木)薬師寺別当に左遷され、三年後任地で亡くなる。

日本の名僧100人を知り、名僧から歴史を学び、歴史から名僧を学ぶ機会を東弓削遺跡
説明会で得て、意義ある説明会だった。


何時も通る外環状の横に遺跡があったことに驚いた、調査された考古学者に感謝する。




図書館に本を返却、花菱に東弓削遺跡のパンフレットと写真を持って行く。 
                8,577歩

by beyonyo | 2017-02-13 07:25 | 歴史散策 | Comments(0)