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beyonyoの旅日記

beyonyo.exblog.jp

出歩くのが大好きなbeyonyoの写真の記録

カテゴリ:歴代天皇陵巡り( 42 )

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     第九十九代  後亀山天皇陵  嵯峨野16,11,18

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           (南朝第四代天皇) 別名 熙成親王

生没年   正平5年(1350)?~応永31年(1424)
在位    弘和3年(1383)~元中9年(1392)
父     後村上天皇 第二子
母     藤原氏(女御)?
皇后    不詳
皇妃    不詳
皇子女   恒敦
陵     嵯峨小倉稜


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               参道 (逆方向より)


年賀住所録入力、国華園に行く、井出さん芝さん来客、ビシャコを取りに行く。
                 4,211歩 

by beyonyo | 2016-12-03 05:19 | 歴代天皇陵巡り | Comments(0)
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第十代崇神天皇磯城瑞籬の宮跡
(しきみずがまのみやあと)
山の辺の道金屋  15,10,24


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何年か前か歩いて来たところへ今回は車横付けで来れた。
是より後ろは道が細く車は通れない山の辺の道。


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宮跡に「志貴御縣社」がある


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お堂



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第十代崇神天皇の皇居跡と伝えられています。
神山・三輪山を背後に負い、歌垣の伝えで名高い海柘榴市(つばいち)を脚下に控えて、大和平野を見渡す高燥の地です。
東へは泊瀬道(はつせみち)、伊勢を経て東国へ。
南へは、磐余道(いわれみち)飛鳥を通じて紀州方面へ。
北へは、山の辺の道、奈良、京を経て北陸日本海方面へ。
西へは、大和川の水運を利用して難波、瀬戸内海方面に繋がる交通の要衝です。
古代、大和王権、発展の拠点であったとも言える場所です。
(説明文を写す)


         第10代崇神天皇陵 こちらから


園芸、大型植木3鉢をsarubiaが剪定、思い切った切り込みをする。
その間リビングのガラス戸を掃除磨いて昼前に終わる。

同窓会の会場で倒れ骨折で入院していたkさんが26日退院され、お礼の手紙と商品券を送ってきたので、花菱と一緒に商品券を返しに行く。
結局、感謝の気持ちを頂く事になった。
夜kさんからお礼の電話があり長い会話になった。花菱にも同じ電話があった事のメールをもらい、幼さな友の友情が交錯した午後だった。
4,246歩



by beyonyo | 2015-10-31 07:47 | 歴代天皇陵巡り | Comments(0)
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             飯豊天皇陵

               葛城市北花内 14,9,15                                                                                       

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          葛城埴口丘陵(かつらぎのはにくちのおかのみささぎ)
               全長90メートルの前方後円墳
                  築造は6世紀前半

飯豊天皇は履中天皇の皇女とも皇孫ともいわれ母も黒姫とも、はえ媛ともいわれている。
第22代清寧天皇と第23代顯宗天皇との間の期間、執政者だったと伝えられ、女帝の先駆け的存在とし注目せれている。

清寧天皇崩御の後、一時10ヶ月程女王として葛城の」忍海角刺宮で政治を行ったと伝えられ飯豊天皇と呼ばれている。

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陵の正面付近には葛城山をバックに異様な姿で御陵の景色を演出しているようだった(車中より)

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                  陵より望む葛城山

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                 陵付近からの二上山

先日、花菱と金村神社に行ったとき、ナビに飯豊天皇陵があり、歴代天皇の中に飯豊天皇がない事から話題になり散策してみた。

              履中天皇陵 こちら


葛城市の飯豊天皇陵散策、何時もの一言主神社付近で小芋を買い、帰り絵手紙用の彼岸花、と葛の花を採取してくる。
2,367歩


by beyonyo | 2014-09-16 07:02 | 歴代天皇陵巡り | Comments(0)
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    「安康天皇陵」 菅原伏見西陵 奈良市宝来四丁目 11,1,29

父    允恭天皇
母    忍坂大中姫命(おしさかのおおなかつひめ)
皇后   中帝姫命(なかしひめ)
皇居   石上穴穂宮(いしのかみのあなほ) 天理市
陵名   菅原伏見西陵
形状   方丘  堀

                      2011,1,29 散策
by beyonyo | 2011-05-10 07:40 | 歴代天皇陵巡り | Comments(0)
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         「第38代天智天皇陵」 山科陵(やましなのみささぎ)
               京都市山科区御陵上御廟野町 11,3,29

父     舒明天皇
母     宝皇女(たから)・・(皇極・斉明)
皇后    倭姫玉(やまとのひめのおおきみ)(古人大兄の娘)
妃1    蘇我造媛(そがのみやつこひめ)蘇我倉山田石川麻呂の娘)
妃2    遠智娘(おちのいらつめ)
       子・・・太田皇女(おおたのひめみこ)
           鸕野讃良(うののさらら)持統天皇
妃3    姪娘(めいのいらつめ)
      子・・・阿部皇女(あべのひめみこ)後の天明天皇
妃4    伊賀采女宅子娘
      子・・・伊賀皇女(大友皇女)弘文天応
皇居    稲渕宮・近江大津宮
陵名    山科陵
古墳    山科御廟野古墳
形状    上円下方墳(八角形)

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天智天皇は舒明天皇の皇子で、母は皇極天皇。蘇我蝦夷、入鹿の親子を倒し、孝徳、斉明の皇太子でもあった。

明日香村を歩くとき、いつもかかわりの在る人物、先日山科を通り偶然にも天智天皇陵を散策できた。

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                  御陵前にある日時計 
                          2011,3,29散策



           
by beyonyo | 2011-05-09 07:13 | 歴代天皇陵巡り | Comments(0)
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 「垂仁天皇陵」 菅原伏見東陵(すがわらのふしみのひがしのみささぎ) 奈良市尼辻西町 11,1,29

父        崇神天皇
母        御間城媛(まきひめ)
皇后       狭穂媛命(さほひめ)
子        誉津別命(ほむつわけのみこと) 日葉酢媛命(ひばすひめ)
          大足彦忍代別尊(景行天皇)
皇居       纒向珠城宮(まきむくのたまき)桜井市茅原
古墳      尼辻宝来山古墳
形状      前方後円墳  堀

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近鉄橿原線西ノ京を過ぎ、次の尼辻駅に入る左側に大きな、前方後円墳の森が満々と水をたたえた濠に浮かぶ垂仁天皇陵が在る。
陵の周りは歴史の道で、菅原神社から唐招提寺、薬師寺と続く途中にある。
回りくねった道の端の畑の中に、かなり古い唐招提寺の道しるべ、陵をバックに立っている、歴史街道にふさわしい景色と出会った。

歴代天皇陵散策で、大阪、奈良、では残り少ない未定の陵だったが、毎日新聞夕刊27日の記事を見て早速に散策する事になった。

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         「鵜のフンで白く化粧したような垂仁天皇陵」
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                  「鵜の集団」
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             毎日新聞1月27日夕刊引用

                       2011,1,29 散策
by beyonyo | 2011-01-30 07:10 | 歴代天皇陵巡り | Comments(0)
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           「雄略天皇陵」 丹比高鷲原陵 10,11,27
                         羽曳野市島和泉8丁目
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父      允恭天皇
母      忍坂大中姫命(おしさかのおおなかつひめ)
皇后    草香幡畑捘皇女(くさかはたひめ)
       葛城韓媛・・・子=白髪武広国押稚日本根子尊(清寧天皇)
妃      吉備上道稚媛
        春日和珥童女君
皇居    泊瀬朝倉宮(はつせのあさくら)
陵墓    丹比高鷲原陵
古墳    高鷲丸山古墳+平塚古墳
形状    円丘   堀

幕末の頃、陵を荘厳化するために、径75m.の丸山古墳と一辺50m.の古墳である平塚古墳を前方後円墳のようにドッキングさせ、これを雄略陵とした。
現在仲哀天皇陵として治定されている岡ミサンザイ古墳が、雄略陵ではないかとする研究者も多い。
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                     「陵遠望」
                           10,11,27 散策
by beyonyo | 2010-12-16 05:11 | 歴代天皇陵巡り | Comments(0)
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           「仁徳天皇陵全景 説明板より」 08,4,2
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               「仁徳天皇陵正面」 10,9,8
                           堺市堺区大仙町

父      応神天皇
母      仲姫命(なかつひめ)
皇后    磐之姫命(いわのひめ)
子      大兄去來穂別尊(履中天皇) 住吉仲皇子、瑞歯別尊(反正天皇)
        雄朝津間稚子宿彌尊(允恭天皇) ?八田皇女
皇居     難波高津宮(なにわのたかつみや)
陵名     百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)
古墳     大仙古墳,大仙陵古墳
形状     前方後円墳・三重堀
所在     大阪府堺市堺区大仙町

日本最大の前方後円墳 
古墳の最大長840m. 最大幅654m.
墳丘の長さ 486m.後円部経245m.高さ35,5m.前方部幅305m.

三重に濠を繞らし日本最大の前方後円墳で生前に造られた寿陵である。
大きい陵の周囲に倍塚と考えられる古墳が10基以上ある。

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          周囲はウオーキングの道になっている 08,4,2
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        現在、整備されている周遊路の全長2,850メートル
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             正面より左の外堀を望む 10,9,8
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        堺市庁舎21階展望室より仁徳陵を望む10,9,8
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         周遊道を歩いていると自然がいっぱい 08,4,2

       仁徳天皇皇后 磐之媛命   平城坂上陵   
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            皇后陵 奈良市平城京 10,9、17

      仁徳天皇母 仲姫命陵
              

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             応神天皇の皇后仁徳天皇の母陵
                藤井寺市沢田4丁目 10,6,12

              2008,4,2
              2010,9,8
              2010,9,17
              2010,6,12 散策 
by beyonyo | 2010-12-07 05:48 | 歴代天皇陵巡り | Comments(0)
         (第35代皇極天皇代・37代斉明天皇と同一人物)

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         代37代斉明天皇陵 奈良県高取町車木 10,3,29
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                      正面

父        芧淳王(ちぬ)
母        吉備姫王(きびひめ)
配偶者     高向王(舒明天皇
子        葛城皇子(かつらぎのみこ)天智天皇
          間人皇子(はしひとのひめみこ)孝徳天皇の皇后
          大海皇子(おおあまのみこ)天武天皇
皇居     飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)・飛鳥川原宮・両槻宮(天宮)
陵名      越智崗上陵(おちのおかのえのみささぎ)
古墳      車木ケンノウ古墳 円墳(径約45m)
所在      奈良県高市郡高取町車木


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山上への石段は曲りながら273段あるが途中に、皇孫大田皇女(大津皇子の母)越智崗陵が在る。
頂上近くに楓樹数本があって紅葉が綺麗だろう。
山頂の陵前に珍しい鬱金桜があるので期待して行ったがすでに枯れて株本から新しい芽が出来でいた。

皇極上皇が重祚して斉明天皇となられた女帝は百済救援のため西征軍を率いて九州へ下り大本営の陣中で68歳で崩御されたとある。

630年  舒明2,1,12  舒明天皇の皇后になる
641   舒明13,10,9 舒明天皇崩御
642   皇極元、1,15 皇極天皇として即位、蘇我蝦夷を大臣とする。
                実際に政権を執ったのは蝦夷の子蘇我入鹿
643   皇極2,9,11 母吉備姫薨去(明日香猿石のある御陵)
645   皇極4,6,12 蘇我入鹿殺害が実行される
645   大化1,6,14 皇位を弟の軽皇子(孝徳天皇)に譲り
                皇太子を中大兄として、極天皇としては退位する
645   白雉5,10,10 孝徳天皇崩御
655   斉明1,1,3 斉明天皇として即位
   


同域に孝徳天皇皇后の間人はしひと皇女・天智天皇皇子建皇墓も合葬されている。
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                   左近の橘と右近の桜
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                登り道より大田皇女の陵を望む

二度の即位、大化改新、と活躍された、最近(2010,9,12 牽牛子塚見学ブログ)新発見の斉明天皇陵が発掘された、
誠に興味深い天皇である。

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 天武天皇妃・大田皇女のお墓(二上山の雄岳に葬られている大津皇子の母)

                  2010,3,29  散策
by beyonyo | 2010-11-09 07:14 | 歴代天皇陵巡り | Comments(0)
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                  「第14代仲哀天皇陵」
   恵我長野西陵(えがのながののにしのみささぎ)藤井寺市藤井寺四丁目
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父      日本武命(やまとたける)
母      両道入姫尊(ふたじいりひめ)
皇后     気長足姫尊(おきながたらしひめ)神功皇后
子      子去来紗別尊(応神天皇)
皇居     角鹿笥飯宮(つのがのけい)・穴門豊浦宮(あなとのとよら)
                          ・橿日宮(かしひ)
陵名     恵我長野西陵
古墳     岡ミサンザイ古墳
形状     前方後円墳  堀

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              陵より柏原の高安山を望む
日本武命の皇子で朝鮮出兵の端緒をひらき三韓を服属させたといわれている。
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ここも住宅が陵の近くまで迫りひと昔の景色は望めないが、東方遥かに二上山が望めて心休まる風景です。
西国代五番札所「葛井寺」(ふじいでら)から南一キロ余りのところに在り、さらに南へ徒歩10分で中の太子「野中寺」が在る。
仲哀天皇陵散策付近は,金木犀の香りがただよい、初秋の午後のひとときを満喫できた。

                  2010,10,7 散策                                       
by beyonyo | 2010-10-09 04:30 | 歴代天皇陵巡り | Comments(0)