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beyonyoの旅日記

beyonyo.exblog.jp

出歩くのが大好きなbeyonyoの写真の記録

カテゴリ:かわちながの百景( 91 )

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                           紀見峠
                     井上喜代一氏のスケッチ
                         1984,1,5

天見の集落も南の端、国道371号線の紀見隧道の手前で分岐した旧国道は、蛇行しながら紀見峠をのぼってゆく。
旧高野街道もほぼこの道路に沿っていた。
紀見峠は標高437,9メートル、大阪府と和歌山県の境である。
峠付近の高野街道は国道の東側上に昔のまま残っており、橋本市柱本紀見峠という部落が街道筋にならぶ。
津田さんの家の所に「高野女人堂へ六里」の里程標が立っていた。
今日は峠は雪で薄化粧をし、ときどき粉雪が舞う寒い日である。
旧国道は自動車の往来もなく、峠を登り詰めた路上で村の子供達が寒風をついてサッカーをやっていた。
私は路傍に止めた自動車の中から写生をする。

                               井上喜代一   文
                   


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                      紀見峠  12,3,26

スケッチされた場所に来たが、トタン葺きの家は立派なしころ建ちに変わっていた。

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国道の山頂に、「峠谷川」「柱本橋」深い竹やぶの谷に水が流れて山頂に川とは意外な景色である。

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            スケッチされた付近にダイヤモンド・トレールの道がある。
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by beyonyo | 2012-04-04 07:17 | かわちながの百景 | Comments(0)
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                        石見川部落
                     井上喜代一氏のスケッチ
                         1982,11,6

ここは市の最奥、約三十戸の石見川部落である。
街道は前方の山の中腹を旧坂で登り、金剛トンネルを抜けて、奈良県五條市に下る。
さらに天辻峠を越えて、十津川ぞいに新宮に至る国道310号線である。
遠方に金剛山から岩湧山に連なる尾根がみえる。
この国道が出来るまでの旧街道は石見川をすぎると、山峡をつづら折りに登って行者杉に出て、同じように五條に下る淋しい山路であった。
天誅組もこの道を通って五條代官を襲撃したという。
行者杉に降った雨は、石見川源流である。
                           井上喜代一   文


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                  石見川部落  11,11,21

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                      石見川部落遠望
この部落の山に鳥地獄と名のつくところがあり、地中からガスが出ていてこの上を鳥が飛ぶと落ちて死ぬと言われている。
土地の人に教えてもらった、古い標識に「鳥地獄」の案内がある。
方角は違うがこの奥で出ている湧き水「行者水」を長年汲みに来て飲み続けている。
各地から行者水を汲みにくる人で、一時間待ちの時も度々ある。
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by beyonyo | 2012-03-08 06:52 | かわちながの百景 | Comments(0)
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                        金剛寺多宝塔
                      井上喜代一氏のスケッチ
                        1963,4,12
均整のとれた美しい塔である。
蛙股の色とりどりの図柄もおもしろい。
欄干おぎぼしには、豊臣秀頼、片桐且元の名がきざまれ、慶長の修復工事が記録してある。
今は亡き吉川英治の名著、宮本武蔵の取材も役立ったとか。
こけらぶきの屋根は、古びて、瓦と違った味があるやわらかな色をただよわす。
彼岸桜は白っぽいが、山桜は赤みがかった新芽を出している。
                   
                         井上喜代一    文


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                  金剛寺多宝塔  11,6,3

戦後の修理の時、豊臣秀頼、片桐且元を奉行として修理したことが判りますが、平安末期の手法も認められている。
現在本堂や観月亭など、平成の大修理中でいずれも覆面状態で百景の中に入っているが、完成までにかなりの時間がかかりそう。
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by beyonyo | 2012-02-22 07:58 | かわちながの百景 | Comments(0)
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                        野間里の金毘羅宮
                     井上喜代一氏のスケッチ
                        1982,12,19
野間里の芝本家の裏手の野道を辿ると、東の山手の中腹に金比羅さんが祀られている。
野面石(のづらいし)を並べた美しい長い石段を登ると、狛犬に守られた小さな社がある。
左手少し上方にも祠が見える。
この境内の石積みは、氏子たちが、下を流れる高向川から石を拾い上げて、年代かけたて丹念に積み上げたのである。
毎年四月十日の春祭りには、各戸はお弁当を作り、総出で一日を楽しむのである。
当日は、相撲があって村の若者が力を競ったのであるが、今はなくなった。
餅まきだけが賑やかに行われる。
                       井上喜代一   文


金毘羅宮は紀州の方に行き、現在は存在しない。
村の古い人に聞くと、昔は大変賑わったそうな。

せめて石積みの跡でも散策しようと村人に尋ねたら、今は現場にゆく道も閉ざされてダメと言われ、残念ながらあきらめた。 
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by beyonyo | 2012-02-13 08:09 | かわちながの百景 | Comments(0)
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                    盛松寺八十八ヶ所 ー今は昔ー
                      井上喜代一氏のスケッチ
                          1964,11,4

与通のお大師様さまの裏山に、小路をつくって、四国八十八ヶ所めぐりができるようになっていた。
このご本尊をおさめるお堂が寄進者の思いおもいの趣向で、小さいながら手の込んだ普請がしてあった。
当時里の老婆や若嫁などのお詣りがなかなか多かった。
今では、この裏山が住宅に開発されたので、八十八ヶ所の仏様が境内の一堂の収納されてしまった。
惜しいことだ。
                        井上喜代一   文
                 


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                       六角堂 12,2,7
スケッチされたお堂は、裏山にあったが、朽ち果ててこの六角堂に安置されたと住職さんに話を聞いた。

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                       立江地蔵菩薩
古来より、安産を願う方々の信仰を集めたと当山に言い伝えられている。

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六角堂内を一周すると、四国八十八ヶ所を回ったことになる。
中央に、子安地蔵さんが祭られている。
             ご真言 オン カカカビ サンマエイ ソワカ

薄暗い堂内は冷厳漂う聖地の空間に、先人があげたロウソクと線香が、立ち消えようとしていた。
思わず無信仰なbeyonyoもロウソク線香を供え、感謝の気持ちを込めて手を合わす。
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by beyonyo | 2012-02-09 07:55 | かわちながの百景 | Comments(0)
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                           天見
                     井上喜代一氏のスケッチ
                        1984,2,21
旧高野街道は天見川を遡り、九十九折りになって紀見峠を越えるのであるが国道371号線は旧街道をところどころで分断しながら、一直線に紀見トンネルを抜けて和歌山へ入る。
電車も川をはさんで並行してはしる。
したがって天見は大阪府の最南端の村である。
元弘三年(1333)正月、楠公はここで安満見(甘味)合戦を戦って勝利をおさめた。
このあたり、旗尾城、石仏城(惣城)など楠氏の金剛山大要塞の紀州方面の防御線であった。
山は険しいが、今は植林の行き届いた美しい森林地帯である。

                          井上喜代一   文


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                      天見 11,11,21

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                  高野街道天見の分かれ道付近

高野参りの旅人が、疲れを癒した温泉が有り、現在も続いている。
和歌山に向かうとき、このあたりの四季それぞれの景色を楽しみに通る所です。
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by beyonyo | 2012-02-01 08:20 | かわちながの百景 | Comments(0)
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                         観心寺金堂
                     井上喜代一氏のスケッチ
                         年月日 不明
じつにゆるやかな曲線をえがいた優美な屋根である。
あでやかで、神秘な微笑をたたえて、思索する。
極彩色如意輪観音を秘仏としてまつる堂宇として、誠にふさわしいと思った。
秘仏は毎年四月十七~八日の両日に限って拝むことができる。
暗い須弥檀(しゅみだん)の厨子の中で、あわい光にうつしだされたお姿に千数百年の歳月をわすれる。

                               井上喜代一  文


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                観心寺金堂 (国宝)  11,11,6

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                            山門

国宝金堂の裏山に、後村上天皇陵があり、春は梅桜で賑わう。

            後村上天皇陵・桜の観心寺はこちらからどうぞ
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by beyonyo | 2012-01-21 06:55 | かわちながの百景 | Comments(0)
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                           楠公首塚
                      井上喜代一氏のスケッチ
                          1969,8,6
楠木正成は湊川に出陣するにあたり、正行を桜井の駅によびよせ、七生報国の誓いをかたり、後事を我が子に託すのであるが、討死した父の首が、敵の好意で河内の里におくりとどけたとき、正行は前後を忘れて自害せんとして、母にさとされおもいとどまるのである。
その首級をまつったのがこの首塚である。
時のみかど後醍醐帝の御子、後村上天皇の御陵のま下にあたり、主従のえにしもあわれである。
古木うっそうとして、ただ風のざわめきのみ。
                            井上喜代一  文


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               楠公首塚    11,11,6

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           坂を上がった右に後村上天皇の母「阿野廉子」のお墓がある

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                            開山堂

正成・正季兄弟は、激闘数合、遂に弓折れ矢尽きて湊川の一民家で刺し違えて死にますが、後に尊氏はその首級を返送したといいます。
敗戦の報と、父正成の首級を受け取った正行は、あまりの口惜しさに自害しょうとしますが、母に諭されて思い留まり、その後の楠木軍を率いて死ぬまで足利軍と戦います。
太平記は金剛山の西鹿に正成の首塚を造って手厚く葬ったとありますが、観心寺の開山堂の上の実恵墓の東隣に楠公首塚があります。
無銘の五輪塔が一基、玉垣の中に置かれています。
千早城跡から金剛山に登る道筋に五輪塔が一基ありますが、これは正行の弟・楠木正義の墓と言われています。
                      史蹟案内   南 昭雄  (解説文より抜粋)


かわちながの百景の中で楠木正成にかかわることが当然多いが特に観心寺は正成が眠る名刹である。
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by beyonyo | 2012-01-19 08:44 | かわちながの百景 | Comments(0)
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                          建掛けの塔
                      井上喜代一氏のスケッチ
                         1963、10,30
建武の中興なり、平和がおとずれたので、楠木正成は敵味方供養のため、三重塔の建立を発願するのだが、足利尊氏の謀反により、ふたたび動乱の業なかばにして出陣。
ついに帰らざる人となるのである。
後年、第一層に、茅の屋根を冠して、建掛塔と名づく。
かえって閑素、えもいわれぬ構築の美しさである。


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                 建掛塔 観心寺 11,11,6

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                        1995,2 撮影

   観心寺金堂と正成の首塚の中間に位置し何度訪れても正成を偲ぶ事を出来る建物です。
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by beyonyo | 2012-01-11 08:47 | かわちながの百景 | Comments(0)
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                            天見
                      井上喜代一氏のスケッチ
                         1984,2,21

旧高野街道は天見川を遡り、九十九折になって紀見峠を超えるのであるが国道371号線は旧街道をところどころで分断しながら、一直線に紀見トンネルを抜けて和歌山県に入る。
電車も川をはさんで平行してはしる。
元弘三年(1333)正月、楠公はここで安満見(あまみ)合戦を戦って勝利をおさめた。
このあたり、旗尾城、石仏城(惣城)など楠氏の金剛山大要寒の紀州方面の防御腺であった。
山は険しいが、今は植林の行き届いた美しい森林地帯である。
                         
                        井上喜代一    文


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                       天見   11,12,12 
南海高野線の大阪府側の最後の駅の西側に、国道を隔てて突出した岩山があり、金が取れるのではないかと、戦時中に試掘した。
地下資源では炭酸泉が湧出するため天見温泉郷として有名になった。
四季折々の変化の風景が大好きな天見です。
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by beyonyo | 2011-12-28 07:09 | かわちながの百景 | Comments(0)