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beyonyoの旅日記

beyonyo.exblog.jp

出歩くのが大好きなbeyonyoの写真の記録

カテゴリ:歴史散策( 150 )



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                    幻住庵 大津市国分  17,5,12

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                             近津尾神社表門(神門)
明治3年膳所(ぜぜ)城解体に寄進された切り妻屋根の薬医門で屋根には旧藩主本田家の家紋である立葵の瓦がみられる。


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                      近津尾神社から更に登り幻住庵山門に


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以前は近津尾神社境内にひっそりと立っているのみだったが、平成3年竹下昇総理大臣の「故郷創生」の一億円を事業一環として「幻住庵」が再建された。

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              「先ずたのむ 椎の木もあり 夏木立」

                  大津を愛した芭蕉はここで有名な句を詠んだ

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                            椎の木の下にある句碑

芭蕉は47歳の時「奥の細道」の旅を終えた翌年4月~5月(陽暦の5月~9月までの4か月大津石山寺の奥の国分山の幻住庵に暮らし「幻住庵記」を書く。
「奥の細道」の旅を終えた芭蕉は、帰る家がなく深川の庵は人に渡してしまい、伊賀上野の故郷や大津、膳所の門人にお世話になりながら「幻住庵」に落ち着いた。

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大津散策の最後に予定していたが逆に最初になった開庵はあと40分、先を急ぎ諦める。

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駐車場に帰ってきたら、本日担当の方が来られ声を掛けられ、せっかく遠方から来られたのでもう一度上がってくださいと勧めれれ登り坂がきつくお断りするが、普段は出来ないが今日は特別車で登れるのでぜひと勧められ再度行く事になった。

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                        楽々と幻住庵下へ横着け

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ラッキーな出会いに歴史の談義は2時間に及んだ芭蕉だけでなく西行法師や歴史上の人物遺跡など話が合う、あまり詳しいので以前歴史の先生ですかと尋ねたらバスガイドだったと聞きなるほど詳しい謎が解けた。

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                       座敷内より古風な山門も眺められた

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                            座敷内より石山寺を望む

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              庭にある古田織部作の隠れキリシタンの灯篭




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素敵な出会いのお蔭で芭蕉が隠れキリシタンだったことも知ることが出来た、元バスガイドさんに感謝して幻住庵の散策を終える。





園芸、ダリア、フウセンカズラを植える。
菊の挿し芽を日当たり場所に移動。
メダカ白163、オレンジ88、青7卵採取、
コスモスに買い物、 花菱来客。
                   7,573歩


by beyonyo | 2017-05-20 07:21 | 歴史散策 | Comments(0)
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               芭蕉句碑  大津堅田  17,5,12

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      一休さん修行の祥瑞寺に芭蕉が訪れ詠んだ句碑と出会いました。


園芸、菊「日新花笠」を5鉢植える。
メダカケース大中の掃除。
コノミヤ、イオンに買い物。
                   2,767歩


by beyonyo | 2017-05-16 07:45 | 歴史散策 | Comments(0)


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 祥瑞寺  大津市堅田  17,5,12

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室町時代の名僧・一休さんが修行し悟りを得たのは、ここ堅田でした。
一休さんは堅田の祥瑞寺(当時は祥瑞庵)にて22歳から34歳まで修行し一休の道号を授けられました。

祥瑞寺は(応永年間1394~1428)大徳寺派の高僧・華叟宗曇(かそうそうどん)によって開かれ、その華叟和尚が一休さんの師匠であり一休の道号を授けた人物です。

琵琶湖八景の浮御堂の付近にあり立ち寄ったら歴史の一端を知ることが出来た。

雨で肌寒いがメダカの卵381個を採取。
黒メダカ初卵。
芝さん来客。
                2,500歩




by beyonyo | 2017-05-14 05:06 | 歴史散策 | Comments(0)
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               奥野椰子夫顕彰碑  大津市堅田  17,5,12

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はるか南の国を想わせるロマンチックな名前の奥野椰子夫は、戦後に二葉あきこの歌で大ヒットした「夜のプラットホーム」(昭和22年服部良一作曲、コロンビア)の作詞家である。
「星はまたたきィ」とはじまるその清澄な歌声は戦後の荒廃した時代の人々の胸に鮮烈に美しくつらぬいた。
奥野椰子夫はまたそれ以前の昭和16年琵琶湖で練習中の旧制四高(現金沢大学)のボート部員11名が高島郡高島町萩の浜の沖あいで遭難したのを悼んだエレジー「琵琶湖哀歌」(菊池博作曲、東海林太郎、小笠原美津子、歌でテイチク)を作詞した。

彦根城、竹生島、三井の晩鐘、瀬田の唐橋、比良の白雪などともに、「オール揃えてさらばとぞ/しぶきに消し若人よ」とその最期を詠んで彼らの霊に捧げた哀調にみちた歌詞は滋賀県民のみならず全国の人々に愛唱され、深い涙の感動を誘ったのであった。

奥野椰子夫が大津市堅田の出身であることを記念するとともにその業績と栄誉とをたたえここに広く顕彰するものである。
                説明文より抜粋

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                       歌碑のある堅田港

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                        堅田港桟橋
当時ボート部員遭難の時ここから救助に向かったことから「琵琶湖哀歌碑」建てられた。



         「琵琶湖哀歌」

一 遠くかすむは彦根城 波に暮れゆく竹生島
  三井の晩鐘 音絶えて 何すすり泣く 浜千鳥

二 瀬田の唐橋 漕ぎぬけて 夕日の湖に
  出で行きし 雄々しき姿よ いまいずこ あゝ青春の 唄のこえ

三 比良の白雪 溶けるとも 風まだ寒き 滋賀の浦
  オール揃えて さらばぞと しぶきに消えし 若人よ

四 君は海の子 かねてより 覚悟は胸の 浪まくら
  小松ヶ原の 紅椿 御霊を護れ 湖の上


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               堅田港桟橋より琵琶湖大橋遠望

子供のころ琵琶湖の名所をきつく印象に焼付いた「琵琶湖哀歌」169.pngが懐かしく・・・
大津散策に来て堅田の浮御堂の付近にある歌碑を訪ねてみた。
ボタンを押すと歌が聞こえるのに故障していたが残念だった。




大津市散策 7:06出発 17:00帰宅
走行距離219キロ

帰宅後、服部さん夫婦来客本年初のメダカ誕生と熊野中辺路の高原熊野神社の写真を戴いた。
我が家のメダカ朝はまだ卵だったが生まれたいるのを服部さんが見つけてくれる。
まだ気温が低く約一か月間卵で居たことになる。                         9,324歩


by beyonyo | 2017-05-13 07:23 | 歴史散策 | Comments(0)

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蛸地蔵・天性寺  岸和田市南町  17,5,8

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元亀元年(1570)に建立され、地蔵堂としては日本最大級の建物である。
寺に伝わる蛸地蔵縁起によれば、本尊の地蔵菩薩は古くから岸和田の守本尊とされたが、戦乱を免れるために当時の領主より堀の中に入れられていた。

後の天正年間、岸和田城が根来・雑貨衆に攻められれ落城の危機となったとき、数千の蛸と一人の法師が現れ城を救ったという。

数日後、堀から矢傷や弾傷を負った地蔵菩薩が発見され、法師は地蔵菩薩の化身であったことがわかった。

地蔵菩薩は城中の別殿に安置されたが、民衆が参拝できるように天性寺に移された。
その伝承にちなんで蛸絵馬を奉納し蛸を絶って願を掛ける人もいる。
                      (説明板を写す)

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  参道

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基礎石

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何年か前に岸和田城下町を歩いて散策し、「蛸地蔵」散策を残していたのを気がかりで遅い時間帯からの決行した。
車での散策だったが意外と道が細く一方通行箇所も多く神経の使う散策になったが、気になっていたことが解決しやれやれだが、また違う歴史を知り宿題を残すことになった。




園芸、菊の挿し芽したのを小雨になり野外に出す。
大和に買い物に行き当麻の裏道を散策する。
                        3,504歩








by beyonyo | 2017-05-10 06:25 | 歴史散策 | Comments(0)
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          山崎 榧の木神社  かつらぎ町  17,4,8

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弘法大師が榧の実を播きそこから採れる油を生計の糧とするように示された。
それ以来高野山奥の院燈籠堂に捧げ、聖徳太子の霊前を輝かしたのでここに榧の木神社をお祀りするようになったそうです。




町会のフリージャーの花が終わり桜の下を大掃除。
芝、井上、花菱,則ちゃん来客。
                       2,776歩






by beyonyo | 2017-04-30 07:26 | 歴史散策 | Comments(0)
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                廣田神社 堺市三原区  17,4,18

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                   旧美原町太井、今井、大保の氏神様

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                   境内にある鍋宮大明神

この付近は鋳物の発祥地であり大保千軒といわれる程多くの鋳物師が住み氏神として鉄の神、火の神をお祀りしたのが「鍋宮大明神」です。

昔八咫鏡を鋳たという伝承もあり奈良時代にここに住んでいた三宅麻呂が鋳銭司の長官に任ぜられ我が国最初の貨幣「和同開陳」と鋳造しその功績により賜った官位が大保でした。

寺の求めで鋳た釣鐘やわに口灯篭が全国各地に多く残っています。
                           (廣田神社由諸より抜粋)


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                背比べをできるくらいの鋳物製大鍋

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                 火の神らしく火消壺が安置されている

付近を何気なく散策していて、鍋宮大明神の歴史の一端を勉強できた。


園芸、菊の挿し芽があと4~5日になったのに先端の茎を食べる虫にやられてしまった。
残った鉢を移動する。
流木に杜松の木を植え付ける。
芝、井上さん来客。
                      4,586歩





by beyonyo | 2017-04-29 06:48 | 歴史散策 | Comments(0)
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                    孝女・お照  鳳林寺(和泉市坪井)17,4,22

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                          鳳林寺

和泉市坪井の里に住む奥山源左エ門夫婦に拾われて育てられたお照が、亡き養父母の供養の為にと、高野山の万灯会の法要に際し、女の命ともいわれる黒髪を切って銭に替え、一灯を献じました。
法要のさなかに突然風が吹き、長者の献じた一万の灯明は全て消えてしまいましたが、お照の献じた一灯だけは消えなかったといいます。
お照一灯は「貧女の一灯」と呼ばれ、奥之院で今も灯をともし続けています。
鳳林寺は、お照が育ての親の奥山源左エ門・お幸夫婦とともに住んでいた跡と伝えられています。
              (和泉市  説明碑)

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11年前「天野の里」散策のとき、お照のお墓に行き親孝行の話に感動した。
それ以来いつもお照が脳裏に残っていた。
和泉市にある道の駅に鳳林寺の石仏の写真があり一度訪れてみたかったが、その石仏がお照とは知らなかった。
又、養父母と一緒に住んでいたと知り、11年間の空白が一挙に解決した。

            2006,11の天野の里

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                           お照のお墓

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                           天野の里

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                           丹生都比売神社



園芸の雑用で忙しい一日だった。
服部、田中さん来客。
白メダカ5年生の卵、オレンジの卵今年初を確認。
                            4,522歩








by beyonyo | 2017-04-26 07:45 | 歴史散策 | Comments(0)
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                磐船神社  交野市  17,4,2

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                       ご神体の拝殿
                  
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  ご神体は高さ約12mの岩。
加藤清正が大阪城築城の際、大阪まで運ぼうとしたが果たせず、名前を刻んであきらめたという。

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岩の下をめぐる体験(修行)ができるが10歳未満75歳以上入場できない、一人でも入場禁止。何度も試案したが狭い岩の間を通るときコムラがえりになったら大変と考える。
20過ぎの青年6人のグループに撮影を頼まれ、一緒に入場とも考えたが年齢も失格、500円の入場料も要るし納得のあきらめになった。

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境内や外の道にも岩がたくさんあって、この岩には天誅組の志士「伴林光平」の句が刻んであった。



黒メダカなど3容器の掃除、と寒冷紗の下にメダカ鉢の配置換え。
園芸、寄せ植えの植物を個別に4鉢植え替え、馬酔木、におい祭り植え替え。
芝さん来客。
      3,232歩

  


by beyonyo | 2017-04-17 09:36 | 歴史散策 | Comments(0)
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                野崎観音  大東市  17,4,2

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飯盛山の山麓にある行基が彫ったといわれる十一面観音菩薩を本尊とする。
春秋「野崎参り」で賑わう。
近松門左衛門の「女殺油地獄」や近松半二の「新版歌祭文」落語の「のざきまいり」東海林太郎の「野崎小唄」お染久松の恋物語などからも伝わる有名な観音さん。



園芸、乾燥がひどく丁寧に水やりをしたら一時間かかる。
服部さん芝さん宅に行く、奥河内に仏花を、イオンにプリンターインキを買いに
6,008歩


by beyonyo | 2017-04-05 08:31 | 歴史散策 | Comments(0)