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beyonyoの旅日記

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出歩くのが大好きなbeyonyoの写真の記録

カテゴリ:歴史散策( 138 )

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               大城橋  川合町側より  17,2,19


大和川に架かり、斑鳩町と川合町を結ぶ奈良県唯一の「沈下橋」。
地元の人は沈み橋、潜水橋とも呼んでいるらしい。

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                         斑鳩町側より

堤防のすぐ下だが増水の時はここも浸かるらしく、流あふれたごみがたくさんある。


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幅2mほどの細い橋で、川が増水すると水面下に沈む、橋の欄干がなく初めて通るのはなかなか怖い。
地元の人は生活道路らしく、普通車も単車もどんどん通る、斑鳩町側の堤防に駐車して歩いて渡り15分ほどの間に十数台の渡る車を見た。

過去、事故もあるらしく斑鳩町側の堤防の下に、「南無阿弥陀仏」の石碑がある。




春一番の突風に馬酔木の植木鉢が落ちて割れ植え替え、ついでに土の整理となり作業場が整理できた。
服部さん宅にメダカを見に行く。
7,871歩



by beyonyo | 2017-02-21 07:43 | 歴史散策 | Comments(0)
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               中家住宅  安堵町  16,12,4


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国指定重要文化財
中氏は南北朝時代ごろから在地武士として成長し、戦国時代には筒井氏の一族として活躍した土豪です。
窪田氏と名乗っていましたが、惣領家は中殿と呼ばれたために、やがて中氏と称するようになりました。


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二重の豪に囲まれた広大な屋敷は、かつての窪田殿の居館であり中世後半の大和地方における平城の姿を今によく伝えています。
屋敷内には国の重要文化財に指定された大和棟の美しい主屋を始め、表門・新屋敷・蔵・持仏堂などが残り、中世武士の居館様式を伝えています。
                      安堵町ホームペイジ引用


「太子の道」散策中、中家住宅の案内板に心引かれて立ち寄る。
屋敷内見学は予約が必要で入れなかったが、流石国指定だけあって、外部からでも十分存在感を得た。
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                         入口付近に在った遺跡



園芸、サルビアの花が終ったので5鉢の整理、千両の剪定、蝋梅の剪定、メダカのエアーポンプがだめになり新しいのを買い設置する。
芝さん来客。
                4,146歩(ウォーキングなし)

by beyonyo | 2017-02-19 08:19 | 歴史散策 | Comments(0)
東弓削遺跡(由義寺跡)の発掘調査(遺跡確認調査)現地説明会

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          東弓削遺跡 全景  八尾市東弓削3丁目 17,2,11


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                         産経新聞2月10日朝刊
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                         産経新聞2月10日朝刊 
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      一辺が約20mの七重の塔の基盤の説明に多くの人が聞き入った。
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平成28年9月に東弓削遺跡において、由義寺に関連すると考えられる奈良時代後期の瓦が多量に出土しました。その後、平成28年11月から北東の隣接地において、寺院の遺構確認のための調査を行った結果、瓦の集積の広がりと一辺20m(天平尺で約68尺)の正方形の塔の基壇を確認しました。
塔の基壇は、平城京にある東大寺東塔の24m(約80尺)に次ぎ、大安寺の約21m(約68尺)や諸国の国分寺に匹敵する大きさで、東大寺や大安寺と同様に七重塔であった可能性が高いと考えられます。
今回の調査で、日本の正史である「続日本紀」の770年のころに記された称徳天皇と道鏡が建立した由義寺の場所が明らかになりました。
さらに称徳天皇がこの地に置いたとされる幻の都「由義宮(西京)」を考える上でも重要な発見です。
             調査の成果 説明会パンフレットを写す
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                            説明パンフレット
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                   塔は手前の方に倒れて多くの瓦が出土している
「塔が倒れた理由」
基壇周辺から出土した瓦や凝灰岩の切り石、壁土などは、火を受けた痕跡が見られます。
また、焼けて割れていますが、塔の頂部に立てられた「相輪」の一部である「伏鉢」か「請花」とみられる直径約90cmに復元できる銅製品も出土しています。
これらの事から、時期は不明ですが、塔が火災で焼け落ちたことがわかります。
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                   出土品展示を見るのに約一時間待ち
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同和開珎(初鋳708年)16枚、萬年通寶(初鋳760年)一枚、神功開寶(初鋳765年)一枚が掘込地業の石の間から出土しました。
寺院建立に際して、地鎮のために埋められた「鎮壇具」の一部らしい。
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                          塔の上段部の飾り具

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出土瓦の多数を占める東大寺式と興福寺式のうち、東大寺式は西大寺の瓦に似ていますが、同笵の資料はなく、由義寺のために造られた可能性があります。また、四天王寺(大阪市)で使われた瓦や金寺山廃寺(豊中市)と同笵の瓦も出土しています。


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 遺跡の横は、外環状線で送電線の鉄塔が約50mそれよりもまだ20m高い塔が建っていた説明を聞いて、当時、塔からの眺めも、遠い場所からの塔の眺めも素晴らしかったとロマンが湧いてくる。

称徳天皇(当時は孝謙上皇)聖武天皇の娘、西大寺や西隆時の建立百万塔の製作などの仏教を重視した政策を進める。
病弱だった孝謙は761年近江の国、保良宮(大津市)への行幸の際、道鏡の治療を受け、道鏡を重んじるようになる。
孝謙の寵愛を受けた道鏡は法王となり、出生地である河内(大阪)八尾弓削に3回行幸し、770年のときに由義寺の塔の建設に伴い、関係者に位階を与えている。
道鏡は和気清麻呂によって否定され、翌宝亀元年、称徳天皇が崩御すると道鏡は下野(栃木)薬師寺別当に左遷され、三年後任地で亡くなる。

日本の名僧100人を知り、名僧から歴史を学び、歴史から名僧を学ぶ機会を東弓削遺跡
説明会で得て、意義ある説明会だった。


何時も通る外環状の横に遺跡があったことに驚いた、調査された考古学者に感謝する。




図書館に本を返却、花菱に東弓削遺跡のパンフレットと写真を持って行く。 
                8,577歩

by beyonyo | 2017-02-13 07:25 | 歴史散策 | Comments(0)
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                     法隆寺  斑鳩  15、10,27

聖徳太子建立された寺院として、1400年に及ぶ輝かしい伝統を今に誇り、1993年12月には、ユネスコの世界文化遺産のリストに日本で初めて登録された。
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                             南大門
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                           南大門より西を望む
                            

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                               仁王像
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                              五重塔


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                              金堂
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                               百済観音堂
飛鳥時代の仏像として世界的有名な百済観音の安住の殿堂が平成10年秋に完成した。
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                  百済観音像(法隆寺パンフレット引用)
                     
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                               夢殿
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                       松尾寺への道  東大門付近



寒い中歩くと出会い地蔵Uターンから雪になり、帰り道は吹雪になった。
夕方天気も良くなり、ばんばんに買い物。
                   9,954歩

by beyonyo | 2017-02-11 07:48 | 歴史散策 | Comments(0)
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             屏風・杵築神社  三宅町屏風  16,12,8

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                      橋を隔てて白山神社がある
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                           太子の道
屏風という地名は、村人が太子をもてなすとき、風除に立てた屏風から名付けたと伝えられている。
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                      「あざさ」(万葉集)学名アザサ
「太子の道」三宅町に入ると各家の軒下に「あざさ」が鉢に植えてある。
万葉の町おこしだろうが町全体の熱意が伝わってくる。
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池や沼に生えるリンドウ科の多年草。
夏の午前中に黄色い五弁の花を咲かせる。花の大きさは3~4センチ。
花は、早朝に開き昼頃萎むが、次々と開花する。朝の気温が20度以上に上がらないと咲かないので、中々見る事が出来ない、幻の花とも言われる。
万葉集で「三宅の原」の花として読まれている。




湧き水20リッター容器から2リッター容器に仕分けする。
朝からの雨は午後に上がり、何時もの「出会い地蔵」へ歩く。
              9,342歩

by beyonyo | 2017-02-10 07:39 | 歴史散策 | Comments(0)
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                    白山神社  三宅町屏風  16,12,8

三回にわたり「太子の道」散策の中で探すのが一番困難だった。
杵築神社と向かい合っていることから、杵築神社は三つあり、白山神社もほかにあるのと、想像外の
小さなところだったことで困った。

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                           腰掛け岩
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黒駒を繋いだ柳の木(現在の物は法隆寺からの寄贈)と聞いたが、小さい境内になかった。
              
飛鳥小墾田宮に調子磨を従え愛馬黒駒に乗って通う途中の休息場所だった。
法隆寺前の国道25号線沿いに、愛馬の「黒駒古墳」があり、横に「調子磨古墳」がある。
調子磨の古墳は見逃していたので散策してみたい。

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                      白山神社付近の太子の道


            明日香 小懇田宮跡 こちら



服部さん夫婦、花菱来客。ホームセンタームサシに行く。
                 9,708歩

by beyonyo | 2017-02-09 08:50 | 歴史散策 | Comments(0)
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                    馬場塚  安堵町  16,12,4

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   「太子の道」散策中出会った、安堵町には多くの史跡があることを知る。



山茶花の花が咲き終わり、植木棚の配置替えをする。
藤本が倒れて10日入院していたが今日帰ってきた電話あり。
               9,991歩

by beyonyo | 2017-02-08 07:27 | 歴史散策 | Comments(0)
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                太子の道・ 三宅町付近  16,12,4
融観寺にある西国三十三所霊場の観音菩薩、かつては杵築神社境内にあった安楽寺に祀られていたが明治初年以前に廃寺となり、近隣の延寿院山にて祀られたあと昭和九年に現在の地に安置された。

         太子の道散策の人々の安全を見守っているようです。

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コノミヤに買い物、メダカの産卵の用意すべて完了。
            8,884歩

by beyonyo | 2017-02-07 06:53 | 歴史散策 | Comments(0)
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                 太子の道・安堵町付近  16,12,4

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奥河内道の駅に仏花を買いに行く。
メダカの大小の選別、10号植木鉢7鉢をコーキング、ウォーキング途中雨になり引き返す。
                 4,357歩
                     

by beyonyo | 2017-02-06 06:36 | 歴史散策 | Comments(0)
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           猫の恩返し(猫塚) 両国回向院  16,12,29

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猫をたいへん可愛がっていた魚屋が病気で商売ができなくなり、生活が困窮してしまいます。
すると猫がどこからともなくに二両のお金をくわえてき、魚屋を助けます。
ある日、猫は姿を消し戻て来ません。
ある商家で二両くわえて逃げようとしたところを見つかり、奉公人に殴り殺されたのです。
それを知った魚屋は、商家の主人に事情を話したところ、主人も猫の恩に感銘を受け、魚屋と共にその遺体を回向院に葬りました。

江戸時代のいくつかの本に紹介されている話ですが、本によって人名や地名の設定が違っています。
江戸っ子の間に広まった昔話ですが、実在した猫の墓として貴重な文化財の一つに挙げられます。
                    墨田区 (説明を写す)

年末と正月明けに二度訪れた回向院、鼠小僧次郎吉のお墓の隣が猫塚であった。

回向院と言えば大相撲の蔵前国技館のあったところ、現在の両国国技館とはそんなに離れていない、
昨年8月まで現役の関取であった、時天空さんが悪性リンパ腫でなくなり回向院で葬儀をされたことを知り、何か身近に感じるものがある。
足技の特技を何時も楽しませて貰った37歳の信じられない若さだった、ご冥福を祈ります。



病院整形外科受診で歩いて行く。
午後、芝さんの紹介で6日前に下見に来られ説明を聞いたPcプロジェクトの方が、整備した中古パソコンを持ってネットのほか各種設定、一ヶ月無料で使って、良ければ買ってくださいとの事、富士通の7で、10に慣れてきたところだが、以前の記憶をたどり一人歩きが出来そうである。
7と10の二刀流で頭の動きを鍛えたい。
夕方、ばんばんに買い物。エデオンにマウスマットを買いに行く。
                  10,068歩

by beyonyo | 2017-02-03 07:17 | 歴史散策 | Comments(0)