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beyonyoの旅日記

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出歩くのが大好きなbeyonyoの写真の記録

<   2011年 05月 ( 31 )   > この月の画像一覧

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                「竜泉の石仏」 11,5,26
嶽山山頂にある竜泉城(楠正成の出城)の道しるべになっている民家の塀に組み込まれた石仏
旧道に入る場所にある。
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                 「嶽山」 10,12,27
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by beyonyo | 2011-05-31 07:44 | 石仏 | Comments(0)
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加賀田の山里、少し斜面がひらかれて、東向きに、時親の邸の跡がある。
現在の家も大和棟で古いのだが、だいぶ痛んでいる。
土蔵の前のしだれ桜は正成の手植えともつたえられ、柿の木も古い。
正成は少年のころ、時親について、山岳で兵法を、この山中で実地にまなび、後年、千早城を中心とした奇略で、寡兵よく大軍をむかえ撃ったのも、この兵法の活用というべきか。
この静かなたたずまい、六百年の時の流れを忘れさせる。
                          井上喜代一氏  文


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              「大江時親邸跡」 11,2,21
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右の坂を登って小高いところに時親邸跡がある



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現在も大江時親の子孫が、住まいされている、大和棟の前に近寄ると風格のある雰囲気、写真を写す前に訪ねてみた。
ご主人が出てこられ、丁寧に説明をされ、井上喜代一氏がスケッチされた場所など、(この付近四ヶ所)をとても親切に教えて頂いた。
もう写真を写されましたかと、私を気遣い聞かれ、写真の撮る位置までも丁寧に言われた。
かわちながの百景の散策中、度重なる人の誠を頂き、貴重な時を過ごせることが出来、ここ大江時親邸跡も
いつまでも印象に残る散策になった。
 
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by beyonyo | 2011-05-30 07:00 | かわちながの百景 | Comments(0)
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加賀田の側からイトーピア団地に入ると、団地の東側崖の上、小高い雑木林の中に矢伏観音がまつられている。
観音堂に隣り合わせて、赤い鳥居の奥にはお稲荷さんの社が見え、裏手ににも小さな祠が並んでいる。
楠木正成が多聞丸と言った幼年、観心寺の学問所から加賀田の大江時親邸に兵法を学びに通う道中、この観音にお詣りを欠かせない。
或る日それを待ち伏せた賊が矢を射るのであるが、石造の観音様が身代りして難をのがれたと書かれている。
雑木林は明るく右手の馬酔木(アセビ)の古木はみごとで美しい。
                           

                          井上喜代一氏  文


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             「矢伏観音」 大矢船 11,5,15

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矢伏観音ご詠歌                                                               あなとうと やぶせのおかの くわんぜおん ごようのまつに さかえなるらん

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宅地計画が進みイトーピアの住宅の一角にあり、この場所に来るのに4~5度失敗した。
近くまで来て尋ねても、ほとんど他所から来られて住まいされているので分からない。
最後消防署に行き教えてもらい、さらに親切な方が、先導の道案内をしていただきやっとたどり着いた難所でした。

外観は赤土質の傾斜した土地で、凸凹があって古墳のような雑木林の中にありました。
団地の中から車で来たが小高い観音さんは、下から二ヶ所の登ってくる道があり、正成もこの道を登り下りしたのでしょう。
スケッチのアセビの古木はすでに枯れてなく、株だけが残っています。
かわちながの百景のなかで、特に印象に残る矢伏観音である。
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              11,3,6   11,5,15  散策
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by beyonyo | 2011-05-29 04:35 | かわちながの百景 | Comments(0)
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              「河内長野市小深」 11,5,26
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右は石見川を過ぎて、金剛山中を奈良県五条市に向かい、左は千早から金剛山に至る分岐点、ここにある金剛道の標識はかなり古い年輪が刻まれているように思う。
以前はここに大きな水車小屋があり、山中の風情があった。今はマスつり場があり日曜祭日は賑わっている。
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by beyonyo | 2011-05-28 06:35 | | Comments(0)
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大楠公正成が幼少のころ、観心寺で滝覚坊に学をおさめ、加賀田に隠栖する大江親房に兵法を学ぶため、三味谷を下って、三里のこの山道を通ったと言われる。
旧道は曲りくねっているが、自動車道に改修するあたり、南海高野線をまたぐ橋が新設され、この名をつけたという。
道しるべをかねた野仏に、村人たちがお堂を献じた。
よこての柿の木はお供えのそれか、誰も手をつけないようだ。
                             
                            井上喜代一氏  文

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         先生のスケッチされた同じ場所より望む 11,2,9
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                    「  地蔵堂」
三日市駅付近改修で46年前の面影もない、後ろの山が当時の名残を偲ぶ

楠公通学橋  
高野鉄道が堺東から長野まで開通したのが、明治31年、三日市へはやや遅れ、橋本開通が大正4年になります。
そのため室町末期から江戸期にかけて盛況であった三日市宿も、電車のお蔭で高野詣りの客が泊まらなくなり、事業不振と先行不安で店をたたんだり、長野へ出て店を開くものが出て次第に寂れ、のちに長野にとってかわられることになります。
明治の末から大正の頃は、国の富国強兵策にのって先進諸国に追いつき追い越せの時代でしたから観心寺や金剛寺の勤皇の寺は大きくクローズアップされ、ご迷惑にも楠木一族までが利用されていました。
世の中のすべてがそうであった時三日市~観心寺間の新道がつくられ、しかもそれが近々に敷説した鉄道を跨ぐ橋に誰が考えたか「楠公通学橋」であります。
官道のことですからいつかは訂正されるものとおもっていますがそんなことに関係なく子供たちは元気に通学しています。
                      史跡案内  南 昭雄 氏 文


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                 「南海高野線三日市駅」

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                    2011,2,9 散策
            
                
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by beyonyo | 2011-05-27 06:29 | かわちながの百景 | Comments(0)
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    園芸中、金木犀の落ち葉の中で見つけた虫の芸術品 11,5,25
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by beyonyo | 2011-05-26 05:29 | 虫たち | Comments(0)
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      「延喜式内社 佐備神社 富田林市下佐備」 11,5,24

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        「子獅子」                     「親獅子」

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         「子獅子」                  「親獅子」

      頑張れ   「獅子っ子」
可愛いい獅子っ子の頭をなでて
「頑張りや僕も(私も)頑張るから」と云ってやって下さい。
石段を気をつけて登りご本殿にお参り下さい。

獅子は試練に耐えた元気な獅子っ子だけを育て上げるという厳しい椗があり親獅子に育ってほしいと願い千仭の谷底めがけて蹴落とし力を試す、子獅子は谷に落ちかけ身を翻し、駆け登ってくるが親獅子は心を鬼にしてまたもや突き落す。
今度も登ってくるだろうと獅子っ子の姿を親獅子は不安と期待の心でじっと見守る。
その親に向って子獅子は頑張り登ろうとする姿です。
皆さんもそれぞれの目的をめざして登りましょう。
      頑張れ   「獅子っ子」

                             説明碑より

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千仭の谷らしい登り降りの危険なくらいの細い石の階段を登るとき、(約60段)子獅子の気持ちになっているのがちょと不思議とユウモーアの気分を味わいました。

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                 「佐備神社 奉納絵馬」

ここ佐備神社は四十四~五年前頃は三年ぐらい毎日のように仕事の関係で来ていた懐かしい神社
久しく訪れ、新しく頑張れ「獅子っ子」が奉納され、驚いた。

何かのご縁か、只今、癌との闘病中、私もさらに頑張る意欲が出て励まされた散策になりました。 
                       2011,5,24 散策
        
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by beyonyo | 2011-05-25 07:19 | Comments(0)
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下里町の北のはずれに大きな森があって、青ヶ原神社がまつられている。
この神社は、明治四年に小山田の住吉神社に合祀され、狛犬などは持ち去られたのであるが、村人はそのまま社を保存し祭祀を続けてきた。
すかしの玉垣に囲まれた見事な社殿である。
最近、東側に市民グランドができて、ときどき青少年の歓声が響くようになったが、鎮守の森は深く森閑としていて、広い庭は村の子供たちの格好の遊び場である。
                          井上喜代一  文


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                 「青ヶ原神社」 11,2,7

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          「本殿」 
天野山金剛寺が栄えている頃は、堺から天野山に向けて一本の大道が通じていた。
今でも河泉丘陵の東側の麓を、狭山町との境まで通じている道幅二メートルほどの道は主に農道として使われる程度ですが、わずかに昔の名残をとどめています。

              河泉丘陵の名残の道はこちらからどうぞ               
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by beyonyo | 2011-05-24 06:27 | かわちながの百景 | Comments(0)
東高野街道富田林谷川付近
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昔の細い道にあった谷川橋の欄干、新しい道が開通したとき、記念に残されたと想像する今は三差路の片隅に残っている。 10,12,12
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よく見ると当時の橋としては立派なつくりであったようです。今は邪魔物みたいに当時の風情を残しています。
フエンスの中が新しい道(80年前にはなっかた)この下が旧高野街道です。
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                谷川橋の下の景色はこちら
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by beyonyo | 2011-05-23 05:39 | 高野街道 | Comments(0)
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                 「吉野路にて」 10,5,29
今年は、四月末退院後、園芸などで忙しく、新緑の中で過ごす機会がなく一年前の新緑を懐かしくアップしました。

昨日は、大阪梅田の「神仙閣」に中学卒業60周年記念の同窓会に出席して、幼友達と再会できました。
抗がん剤での治療中であり、入院中病室より欠席の通知をだして出席をあきらめてたが、友人の熱意ある努力で、出席できたことに感謝しています。
80歳まであと二回の再会を互いに約束して閉会しました。

出席34名の集いで、わざわざ私の席に、病状を見舞ってくれた同級生と、介護の気持ちで同行してくれた友に改めて感謝したい。043.gif
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by beyonyo | 2011-05-22 07:27 | | Comments(0)