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beyonyoの旅日記

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出歩くのが大好きなbeyonyoの写真の記録

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                    土搭    堺市   12、1,28

土を盛り上げた一辺53,1m 高さ8,6m以上の十三重の搭で各層には瓦が葺かれていた、その数は60,000枚にもなる。
土搭からは文字を記した瓦が約1300枚出土して大半は人名で行基が建立する年の神亀4年の瓦も出土している。

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鎌倉時代の文歴2年(1235)に行基の業績を記した墓誌が発掘され現在その墓誌の断片は奈良国立博物館に所蔵されている。
                  (土搭を造った僧行基  説明板より抜粋)

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昭和40年頃はこの付近をよく通たが、昔の村落であったが周りは住宅が密集して、現代の町の中にある公園になっていた。

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行基が大野寺土搭を建立するのは神亀四年(727)60才のとき、こうした事業には行基を慕う多くの民衆の協力があった。
その一端は土搭から、出土した人名瓦に見ることができる。

行基が布教を始めた当初は国から追害を受けたが、後にこうした活動が認められ、天平17年(745)には聖武天皇から東大寺の大仏建立を託され、大僧正という当時の僧侶としての最高位を送られる。

天平21年(749)行基82歳でその生涯を終え、奈良県生駒市にある竹林寺に葬られる。

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                     土搭山観音寺 大野寺
土搭の横にあり行基が畿内建立した四十九院の一つで60歳の時の神亀四年(727)創建された。
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by beyonyo | 2012-01-31 08:57 | Comments(0)
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          難波宮跡  大阪城を望む  法円坂一帯 08,8,21
大化改新(645)にともなう難波遷都以来8世紀末まで約150年間、難波宮は日本の首都として、また副都として日本の古代歴史に大きな役割を果たした。

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             NHK大阪・大阪歴史博物館を望む ここも難波宮跡

前期、後期二時基の難波宮跡が中央区法円坂、馬場町、追手前にかけて残っている。
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by beyonyo | 2012-01-30 08:43 | Comments(0)
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            毛状巻雲? 津々山台公園  12,1、24
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by beyonyo | 2012-01-29 07:41 | 雲のある風景 | Comments(0)
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                小房交差点   橿原市  12、1,22
何気なしに交差点の陸橋を通り、二上山を眺めて降りたら、七つ道の交差点であることを知る。
そばにある橿原市図書館前に「七道記念碑」がある。
国道24号線、和歌山、京都、と熊野を結ぶ分岐点の三叉路に小さい道が四つ入っている。
場所柄、万葉の頃は?と考えて後にした。
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by beyonyo | 2012-01-28 09:36 | 明日香散歩 | Comments(0)
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                  誕生寺  千葉県鳴川市  11,12,24

    日蓮上人はここ鳴川市小湊で誕生し、平成33年2月16日誕生800年を迎える。

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                          山門

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                          幼少の日蓮像
                     12歳までこの地に居られた
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                           老松

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                         日蓮聖人誕生地
              貞応元年(1222)2月16日小湊片海の地に降誕
遊覧船で観光したが、日蓮上人誕生の意外性を感じた事と、生まれつき厳しい修行であった事も始めて認識させられた。
 
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by beyonyo | 2012-01-27 09:06 | 房総半島の旅 | Comments(0)
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                      越中井  玉造  09,8、26

           細川忠興の家の台所の井戸(ここは当時、大阪城の中になる。)

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細川玉 明智光秀の三女は、15歳のとき細川忠興に嫁ぐ。
父光秀が織田信長を本能寺で討って自らも滅んだため玉は(逆臣の姫)となる。
そのご、丹後の山奥の三戸野に幽閉されるが監禁の状態で外の接触を禁止されていた。

秀吉の九州征伐に伴って忠興が出陣したとき玉はカトリックの話を聞きその教えに心を魅かれていった。
密かに洗礼を受け「ガラシャ」と洗礼名を受けた。

そのご関ヶ原の戦いが勃発する直前、石田三成がガラシャを人質に取ろうとしたが、ガラシャはこれを拒絶した。
三成が実力行使に出るとガラシャは家臣らに自らの命を絶えさせた。 享年38歳だった。

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                        越中の辻
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               細川玉(ガラシャのお墓) 崇禅時 東淀川区
                   法名 「秀林院殿華屋宗大姉」
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by beyonyo | 2012-01-26 07:47 | 太閤記 | Comments(0)
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            八幡神社の森  橿原市四条町  12,1、22
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by beyonyo | 2012-01-25 08:03 | Comments(0)
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            三輪車  橿原市小房交差点にて  12,1,22
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by beyonyo | 2012-01-24 08:24 | Comments(0)
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             飯岡助五郎の菩提寺 光台寺  11,12,23
武蔵国江戸郷桜田村に一庵をむすびしが、徳川家康関東に來り江戸城大拡張のため移転を命じられ、下総国海上群飯岡村に寺基を移し今に至る。
因みに本堂元禄13年(1700)建立は徳川千姫(豊臣秀頼夫人)の死により、その御殿「吉田御殿」を解体しその一部を江戸より運搬し建立したものである。

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                        飯岡助五郎のお墓
                      法名 「発信院釈断流居士

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飯岡助五郎は天保水滸伝で世に名高い,遊侠の親分、この頃笹川繁蔵という博徒が現れ先輩の大親分である助義を蹴落とすために花会を開いたり、若さに委せて無謀にも助五郎の縄張りを荒し、助五郎の帰宅を襲ったり、繁蔵は子分4~5名と助五郎の本宅を襲撃するに至ったので、それまで我慢していたが、関東取締役より召捕状を受け8月6日夜半利根川を川舟に乗船して、総勢百数十名にて笹川へ向かい、笹川岸にて笹川方百余名と、大乱闘となったものである。
これを「天保水滸伝」と称したのであるが、作者の曲筆によって、助五郎は悪親分に仕立てられてしまった。

助五郎のお墓より少し離れた定慶寺に笹川繁蔵の首塚がある。

昔、浪曲「玉川勝太郎」の十八番の名調子、利根の川風まこもにゆれて・・・
この舞台となった利根川のほとりに眠る助五郎のお墓の前に立ち、まさかここ来るとは予期せぬ事で突然ドラマの仲間入りしたような錯覚を感じた。
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by beyonyo | 2012-01-23 09:47 | 房総半島の旅 | Comments(0)
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                寒景色 月ヶ瀬にて  11,2,26
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by beyonyo | 2012-01-22 07:45 | Comments(0)