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beyonyoの旅日記

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出歩くのが大好きなbeyonyoの写真の記録

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志摩マリンランドー10

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            オオホモラ  伊勢志摩  12、11、30


PL病院で悪性リンパ腫についての講演があったので参加した。血液疾患内科の先生の90分間の説明を聞く、顎のリンパの摘出手術から丸二年その後、抗がん剤治療の経過現在の体調が順調に推移していることがよく解かった。

SH氏の娘さんよりボアネックウォーマーを頂く。

by beyonyo | 2013-02-28 07:33 | Comments(0)
高野街道ー34

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 史跡  興山寺領御国領境界標石 学文路  12、12、9

境界石は一面に「定杭、是ヨリ北興山寺領」他面に「是ヨリ南御国領」と刻まれている。
里人の伝えによると、南馬場と学文路の境を流れる小川の河口に石橋がありその橋の北詰高野街道側に建っていたという。
紀州徳川藩領と高野山領の國境を示す貴重な異物であるが、移転されているのが惜しまれる。

                     (橋本教育委員会 説明版より抜粋)

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               境界石より200m付近の高野街道

警察へ新しい運転免許書をもらいに行く。             
by beyonyo | 2013-02-27 07:47 | 高野街道 | Comments(0)
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       有間皇子神社  海南市・藤白神社内  13、2、9

若くして悲運に散った万葉の貴公子有間皇子を祀る。
不幸は自分だけでよい。若者は己の生命を精一杯生きて欲しいと皇子の魂は願っている。
皇子をしのぶ人々を中心に創建された若人の神様である。
万葉歌碑と歌曲碑がある。
                        (藤白神社パンフレットより)

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「有間皇子」は孝徳天皇の皇子で中大兄皇子(のちの天智天皇)のライバルの存在であった。
父の死後政争に巻き込まれるのを避けるため、仮病(精神病)を使って牟婁の湯(現在の白浜温泉)に療養していた。
しかし蘇我赤兄にそそのかされ、斎名天皇と中大兄皇子の失策を指摘したことを密告され、和歌山県海南市の藤白坂で処刑される。

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              藤白神社の境内にある万葉歌碑
 藤白のみ坂を越ゆと白たえのわが衣手は濡れにけるかも  (万葉集ー2-142) 有馬皇子が処刑されてから43年後持統・文武天皇の紀の温泉行幸の際にお供の者が有馬皇子への追慕の気持ちを詠んだ歌

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 磐代の浜松が枝を引き結び真幸(まさき)くあらばまた還り見む (万葉集ー2-141)
護送の途中、磐代(いわしろー和歌山県南部町)で休息中に歌を読んだと言われている。

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        阪和道ガード                     紫川

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藤白神社から、紫川を渡って、阪和道のガードをくぐり200m程進むと有馬皇子の終焉の地である。

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                      お墓と万葉句碑

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          十九歳でここ藤白坂で処刑された悲劇の皇子

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皇子が二首目に詠んだ句

家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る (万葉集ー2ー142)

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            阪和道海南インター付近を皇子遺跡より望む

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      海南市街を望む(紙の袋の柑橘は「きよみ」あと二週間で収穫)

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f0000521_10543716.jpg 今から1354年前の11月11日処刑され、お供の四人のうち二人は斬り殺され、残りの二人は流罪となった。
万葉の時代のロマンを散策する中で哀れを誘う「有馬皇子の変」やっとたどり着くことが出来た。


父孝徳天皇 (妃)阿部小足媛(あべおたらしひめ)と有馬温泉に滞在中に皇子が誕生したので有馬皇子と名づけた(日本書紀)に記載されている。


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       有馬皇子の墓?と言われている岩内一号古墳 (御坊市)


園芸
by beyonyo | 2013-02-26 06:05 | Comments(0)
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              並木道  河南町  13、2、20

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針葉樹の木の様であるが、紅葉しないので唐松林の様であるが違う。
田んぼの中に真っ直ぐに並んだ林はチョット目につく景色であった。


春の園芸の準備
by beyonyo | 2013-02-25 07:01 | Comments(0)
高野街道ー33

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             猿田彦神社  学文路  12、12、9

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学文路大師から苅萱堂に向かう途中、崖の上に小さなお堂に天孫猿田彦が祀られていた。

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       最近出来たのか新しいタイルの案内が付近の三叉路にある。


平凡
by beyonyo | 2013-02-24 07:26 | 高野街道 | Comments(0)
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            散歩道  箸墓にて   13、2、14



奈良三条通りに、筆、墨などを買い物に行く。
by beyonyo | 2013-02-23 07:10 | | Comments(0)
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             東寺金堂   京都  13、2、21

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               弘法の縁日何十年ぶりに訪れた

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              正門の付近も出店が沢山賑わっている

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御影堂の付近にある亀石は来る人々(女性)は亀を撫でては自分の体をさすり、亀の前はいつまだたっても人が絶えない。

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骨董、や植木、を始め数多い露店が並ぶ「弘法市」店も多いが人も多かった。


京都東寺、六道珍皇寺を一ヶ月ほど前に来たが再度訪れる。
六道珍皇寺で見てきた閻魔大王が帰宅して見た夕刊に記載されていた。

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「小野篁」が昼は官僚の仕事をして夜は冥土の閻魔大王と会っていたという閻魔大王。


最近散策した所が報道される事が多い、今朝22日の朝刊に堺のニサンザイ古墳で新しい遺跡発見の報道があった。

by beyonyo | 2013-02-22 06:33 | Comments(0)
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       雪の金剛   R309東板持付近より  2013、2、20
                     昨日の雪で全山薄化粧した。




快晴の朝を迎え、遠望の写真を撮りに行くが途中天気が崩れ引き返す。

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卑弥呼の墓を期待して箸墓古墳の調査が行われた。
by beyonyo | 2013-02-21 06:54 | Comments(0)
高野街道ー32 学文路大師三里石

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          かむろ大師  橋本市学文路  12、12、9

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                  本拠地のお大師像

平成元年参詣者増加と旧本堂の老朽化に伴い現在の地に建立された。
「学文路」の文字にちなんで合格祈願の参詣者も多い。

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                       旧本堂

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                  旧本堂の前にある三里石

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              大師堂より紀ノ川を挟んで橋本市街を望む


朝から15時頃まで雪、パソコンの整理
by beyonyo | 2013-02-20 08:10 | 高野街道 | Comments(0)
高野街道ー31
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     船越喜右衛門の碑  福成就寺  12、11、27

喜右衛門は文政五年(1822)学文路(かむろ)に生まれ船頭をしてた。
嘉永五年(1852)七月、紀ノ川に大洪水があり堤防が決壊して四十余りの家が流されさらに濁流は山裾まで及んで村人の避難した大師堂を残して泥海と化してしまった。
流されてきた材木がお堂に当たり、あたかも地獄のようであったという。
喜右衛門は単身船を出して大師堂に漕ぎ寄せ村人を無事に帰着させ勇気ある行動に村人たちは深く感謝したという。 (説明版より)

船に乗った記念碑は高野参りの道、福成就寺境内に残されている。


一日中雨、雨の中ウオーキング、SH氏の心に残るメモ全部写終わる。
by beyonyo | 2013-02-19 07:34 | 高野街道 | Comments(0)