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beyonyoの旅日記

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出歩くのが大好きなbeyonyoの写真の記録

<   2016年 11月 ( 30 )   > この月の画像一覧

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           小倉百人一首めぐり  16,11,18

              


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               小倉百人一首 第一番 天智天皇


             (大化の改新で蘇我氏を倒した中大兄皇子)

     秋の田の かりほの庵の苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ                                                                                                                                  

                   書  日比野光鳳

歌意  刈り取られた稲の見張り小屋で、ただひとり夜を明かしていると、葺いてある屋根の苫の夜露で濡れ続けることよ。
  (農民の辛苦を詠んだ慈悲深い歌)

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                   第十番  蝉丸

             (醍醐天皇第四皇子 盲目の琵琶の名手)

     これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関

                   書  石田静子

歌意  これが都(京都)から東へ下っていく人も、都へ帰ってくる人も、顔見知りの人もそうでない人も逢っては別れ別れては逢うというこの名の通り逢坂の関なのだなあ。
             (関を行き交う人々に人生の無常を見る)

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                第十三番  陽成院
           (源 融   嵯峨天皇の皇子)

    つくばねの 峰より落つる みなの川 こひぞつもりて 淵となりぬる


                 書  池田桂鳳

歌意  筑波山の峰から流れ落ちる男女川は、流れ行くとともに、水量が増して淵(深み)となるように、私の恋心も、時とともに思いは深まり、今は淵のようなに深い恋になってしまった。

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               第二十番  元良親王

                 (陽成天皇の第二皇子)

     わびぬれば 今はた同じ難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

                 書  山本万里

歌意  うわさが立ち、逢うこともままならない今は、もはや身を捨てたのも同じこと、それならばいっそ難波潟の「みをつくし」ではありませんが、この身を捨ててもあなたにお逢いしたい。


小倉山の麓、旧山陰線のトロッコ電車が走る横に句碑が並んでいる、竹林の風景に句碑が歴史を物語ているようだ。
数多い句碑から四首を選んでみた、歩くのに絶好の嵯峨野また来てみたい思いで散策を終える。

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                     トロッコ電車



              天智天皇陵 こちら

              逢坂の関  こちら

              筑波山   こちら




園芸、日陰になった盆栽を日当たりのよい場所に配置替えをする。
 万代に買物、芝さんビーズ細工用の曲がりヤットコを頂く。
             1,908歩


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by beyonyo | 2016-11-30 08:58 | 歴史散策 | Comments(0)
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          嵯峨野の竹 竹林付近  16,11,18


 竹細工の材料になる青竹を天日干し、中を覗くと親猫と子猫2匹がいた。

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         シャターチャンスを逃し一匹の子猫は離れてしまった。




園芸、東の植木棚の下を大掃除、午後、メダカの棚の上にごみ袋で雨しのぎの屋根を張る。
 井出さん、芝さん来客。
               3,300歩

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by beyonyo | 2016-11-29 04:50 | のらちゃん | Comments(0)
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      嵯峨野紅葉  後亀山天皇陵付近  16,11,18

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                   祇王寺付近

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                  化野念仏寺への道

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                    壇林寺

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                  清凉寺(ドウダンつつじ)

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                    清凉寺境内

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                   後亀山陵への道

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                    常寂光寺

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好天気に恵まれたが紅葉は上手く撮れなかった。
嵯峨野はこれが最後といつも思うが、再度訪れて観たくなる。

                 嵐山渡月小橋より望む



雨の一日で園芸作業場の冬支度、休息の日になった。
                 1,382歩


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by beyonyo | 2016-11-28 06:31 | 歴史散策 | Comments(0)

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             陵王祠  小倉山  16,11,18

昔、中国の蘭陵王が恐ろしい面を付けて陣頭に立ち、敵を勇壮に討ち破ったという話をきいた記憶があるが、その恐ろしい顔か
説明の銅板は汚れて読み辛い・・・

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            奥嵯峨野をさらに奥へ散策中出会った。

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              横にある京小倉山の碑

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                 付近の紅葉




朝メダカに餌をやりに行ったらヒヨドリが来ていて鉢の周りは水だらけ、22匹入っていた容器の中は見当たらない、12匹の容器は一匹だけ確認。
大きなショックを受けたが、メダカも素早く岩の影に潜み6匹の被害で済んだ。

駐車場の中で、まさかここまで鳥が来るとは思わなかった油断だった。
早速5鉢にガラスで蓋をして護衛する。

オオクワに買い物、服部さん来客。

                 3,764歩


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by beyonyo | 2016-11-27 06:18 | 歴史散策 | Comments(0)
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      中院山荘跡(小倉百人一首ゆかりの地) 16,11,18

鎌倉時代の初め、この辺りに、僧蓮生の中院山荘があった。
蓮生は、俗名を宇都宮頼網といい、下野国(現在の栃木県)の豪族で、鎌倉幕府の有力な御家人の一人であった。
しかし、政争に巻き込まれるのを避けて出家し、実信房蓮生と名乗った。(このとき郎党60余人も同様に出家した)
後に上洛し、法然上人、次いで善恵上人証空に師事し、この地に山荘を営んだ。

蓮生は和歌のの名手で、近くの小倉山山麓に山荘を構えていた藤原定家とも親交があり、彼の娘が定家の子、為家に嫁いでいる。
嘉禎元年(1235)5月、定家は蓮生が山荘の障子に貼る色紙の執筆を依頼したのに快く応じ、色紙の一枚一枚に天智天皇以来の名歌人の作を一首ずつ書いた。
「小倉百人一首」はこの時の選歌に、後世、鳥羽、順徳両天皇の作品を加えるなどの補訂を施して完成したものといわれている。
               京都市 (説明板を写す)



    今回の散策で「小倉百人一首」選歌の、藤原定家の事がよくわかった。




花葉の森に野菜を買いに行き、松源に立ち寄る。
 園芸、クンシラン、数珠サンゴを屋内に取り入れる。
 午後がら喉が痛く風邪気味になり7,5度の微熱が出たが夜中に正常に戻る。
            1,976歩

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by beyonyo | 2016-11-26 07:41 | 歴史散策 | Comments(0)
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             西行井戸  嵯峨野  16,11,18

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落柿舎の北側、弘源寺の墓地の東側に「西行井戸」がある。
西行法師がこの辺りに庵を設けたときに使ていた井戸と言われている。

     牡鹿なく 小倉の山の すそ近み ただ独りすむ わが心かな


二尊院を過ぎて間もなく行くと西行井戸の立て札にきずいて立ち寄った。


            西行庵京都  こちら

            西行庵吉野と終焉地 こちら








園芸、ミニの庭の香丁木の木が大きくなり通りにくなったので植え替え、敷石の配置を変える作業にほぼ一日かかった。
田中来客。
             4,044歩

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by beyonyo | 2016-11-25 04:04 | 歴史散策 | Comments(0)
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            嵯峨野寸景    16,11,18



常寂光寺から野の宮神社に向かう途中、小倉山を撮影中思わぬ被写体が横切った。

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                     付近の紅葉




寒い日になり午前中パソコンの 前、斑鳩から飛鳥への「太子の道」の遺跡を調べる。
 午後、園芸一夜のうちに家の周りは落ち葉がいっぱい、掃除と古い土の整理、
 灯油を買いに行く、昨年の高い時のほぼ半額りリッター51円になっていた。
                 2,542歩    

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by beyonyo | 2016-11-24 05:55 | 歴史散策 | Comments(0)
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             落柿舎 嵯峨野  16,11,18

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松尾芭蕉の弟子「蕉門十哲」の一人向井去来の別荘草庵。
古い家の周囲には40本の柿の木があり庭の柿を売る契約したのち、台風ですべて落ちてしまい落柿舎と呼ばれている。

元禄4年(1691)4~5月まで松尾芭蕉が滞在して「嵯峨日記」を著した。

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          左、嵯峨天皇皇女・有智子内親王墓と落柿舎 遠望

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             落柿舎前より小倉山常寂光寺の紅葉



来年の春メダカの産卵用のシュウロを取りに行き持ち主の家を確認出来たが、留守であった。
 現場は急斜面と背丈ほどの雑草でそのうえハメの危険もあって来年雑草の枯れたときに来ることにする。
 井出さん来客。
                    8,887歩


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by beyonyo | 2016-11-23 05:52 | 歴史散策 | Comments(0)
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           秋の祇王寺  嵯峨野   16,11,18

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               (仏間に上がって撮影禁止)庭から撮影

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                   パンフレット引用


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            紅葉の時期を狙って来てみたが少し遅かった。


                早春の祇王寺  こちら



4:50起床。                                            園芸、赤ペチニア・軽井沢ビオラなど30本植える、再生土の整理、
 井上さん来客。
              2,527歩
                  

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by beyonyo | 2016-11-22 05:28 | 歴史散策 | Comments(0)
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         新田義貞の首塚  嵯峨野  16,11,18


嵯峨野、祇王寺からすぐ滝口寺に行く道にある。
新田義貞は鎌倉幕府を倒した武将、足利尊氏との戦いを経て、北陸で戦死。

ここに首塚があるのは、京の三条川原で晒し首になっていたものを、妻、勾当内侍が首を盗み出し嵯峨野に埋葬した所。

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                  勾当内侍の供養塔

                 勾当内侍は一条家の娘。

後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒した恩賞として勾当内侍を下賜されるが、義貞は足利尊氏の追討に際し内侍との別れを惜しみその機会を逃したと太平記に記されている。


昔の武将は全国各地にお墓があるが、この首塚は歴史を物語る事実の場所と思い新たな思いで散策できた。





3:45起床、園芸、盆栽の手入れ、種を蒔いたペチニアの苗を植える。
 えび草の挿し木を本植え、ハナカンザシを剪定植え替え。
 ばんばん、イオンに買い物。
                 3,405歩

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by beyonyo | 2016-11-21 04:47 | 歴史散策 | Comments(0)