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beyonyoの旅日記

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出歩くのが大好きなbeyonyoの写真の記録

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            斑鳩神社・天満宮  斑鳩町  17,2,21

法隆寺から見て鬼門の方角にあたる神社。
菅原道真を主祭神とする天満宮。
普通ならめったに来ない斑鳩斎場の墓地裏にある、仏塚古墳を散策の時に偶然前を通った。



メダカ産卵用シュロをケース以外12鉢に入れる。
メイの描いた油絵の額縁を買いに行く。
             2,022歩


by beyonyo | 2017-03-31 06:45 | 歴史散策 | Comments(0)
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            キトラ古墳への道  小嶋寺付近  17,3,18




園芸、植木の配置替え、ローヤルセンター、ナフコ、コスモスに買い物、
服部さん夫婦、田中来客。
                    4,911歩


by beyonyo | 2017-03-30 07:41 | 明日香散歩 | Comments(0)
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                    樫井古戦場  泉佐野市  17,3,19

 (現地石碑文面)
大坂夏の陣の激戦地の一つである樫井古戦場は、元和元年(1615)四月二十九日ここ樫井の地で展開された。
冬の陣の和議のあと外濠を埋められた大坂方は、このたび先手おとって出陣し泉州へは大野主馬を主将として二万余の大軍を差し向け、徳川方の和歌山城主、浅野長晟の軍勢五千余を押さえようと図った。
二十八日浅野方の先陣は佐野市場へ到着、大坂方は岸和田を越えて追撃を続け翌日両軍が激突はもはや避けられない状態となった。
数的に劣勢な浅野方の諸将は軍議の結果、軍を市場から安松樫井に移った。
大軍を迎え討つには市場は東は野畑が広いうえ山遠く、西は海で浜辺が広く馬のかけひきも自由な所であるから不利、それに比べて安松、樫井は東は蟻通の松原、西には樫井の松原が海辺まで続き、中間には八丁繩手、その周囲が沼田のた、豊臣方の大軍は動かし難い地形で、小勢の浅野方は有利だと判断した。

一方大坂方はここで、取り返しのつかない大敗を演じた。
主将大野主馬は慎重な作戦を立てていたが、先手の大将、塙団右衛門と岡部大学が先陣争いをして小勢で飛び出してしまった。
二十九日未明、塙、岡部の両将を迎え討った浅野方は勇将亀田大隅は安松を焼き払い池の堤に伏せた鉄砲隊で大坂方を悩ましながら樫井まで引き下がり、ここで決戦をいどんだ。
壮烈な死斗が街道筋や樫井川原で繰り返された。
一団となって戦う浅野方ばらばらの大坂方、まず岡部が敗走し塙は樫井で孤立のまま苦戦を続け遂に矢を股に受け徒歩でいるところを討ち取られてしまった。

かつて樫井合戦は大坂方の敗北で幕を閉じ、この夏の陣の緒戦が大坂方の士気に大きく響き、この十日もたたない五月七日遂に堅固を誇った大阪城も落城し豊臣はここに滅亡したのである。
             (泉佐野市 泉佐野市教育委員会)

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                        激戦のあった樫井川

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                       淡輪六郎のお墓(豊臣の家臣)

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                               古い墓標

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淡輪重正、通称は六郎兵衛、豊臣の家臣
和泉の国淡輪荘n豪族、妹の小督局(お菊の母)は豊臣秀次の側室であったが、秀次は豊臣秀吉に切腹を命じられその際に小督局は三条川原で処刑され、淡輪家も連累して所領が没収された。
次いで同郷の小西行長に仕えたが、関ケ原の後に同家も改易されて浪人。
慶長19年(1614)から始まる大阪の陣では大野治長に従がい紀州攻めの一員として加わったが樫井の戦いで徳川方の浅野長晟軍と戦って討ち死にし、永田治兵衛に首を取られた。

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                           お墓の前の熊野街道

昨年この地に来て古戦場跡に行く宿題を残したまま今日に至ったが、付近に来る用事が出来散策した。
熊野街道と樫井川はほぼ平行にあり、泉市と泉佐野との境界線上に在った。
その線上に合戦の跡が続き戦国時代の歴史を辿ることが出来た。

古戦場の跡地をキャベツ畑の年配の女性に尋ねたら、泉州弁で詳しく教えて頂いたが、何と懐かしい言葉のなまりに、終戦当時、父の叔父の佐野によく来た頃に聞いた言葉の響きを思い出し故郷に来たような貴重なひと時だった。

            塙団右衛門のお墓  こちら



園芸、植木鉢の配置替え、工事の跡のコウキングと補修、
井上さん来客。
            2,936歩

by beyonyo | 2017-03-29 08:17 | 太閤記 | Comments(0)
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              天満池石仏  斑鳩  17,2,19



洗車、午後服部さんと大和郡山市法隆寺のメダカ店に行き、楊貴妃メス4オス1を買う。
白メダカオス5匹と一緒の容器に入れる。
                         2,014歩


by beyonyo | 2017-03-28 07:55 | 石仏 | Comments(0)
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              飼い猫です  法輪寺裏にて 17,2,21

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斑鳩法輪寺の裏道を散策中、溝の石橋の上でいる猫に近寄ったが飼い猫でおとなしく撫でてやると目を細くして対応してくれた。
久しぶりに優しい猫の出会いだった。



園芸、蝦夷松、稚児ユリ、植え替えストレプトカーパスの挿芽をする。
先日の工事の補修をする。
服部さん夫婦来客。
3,097歩




by beyonyo | 2017-03-27 07:03 | のらちゃん | Comments(0)
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              すし店の看板  丹波篠山  16,12,18




園芸、遅れていた盆栽の植え替え、松、モミジ、ピラカンサ、ツボサンゴ、沈丁花、新しくツボサンゴの苔玉を作る。
松源に買い物。
                3,018歩

by beyonyo | 2017-03-26 07:25 | Comments(0)
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                モクレン  泉佐野市南中樫井  17,3,24

りんくうタウンを背景にキャベツ畑に巨大なモクレンまだつぼみだが撮ってみた。




9:00sarubiaのブログ仲間とタオル筆の絵手紙展で泉佐野に送り、大坂夏の陣古戦場跡を散策、園芸盆栽展で「深山大根花」を買う。
園芸、大岩チドリの芽が出たので7本と6本に分けて植え替える。
               4,477歩


by beyonyo | 2017-03-25 06:53 | 花と盆景 | Comments(0)
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               吉備の里 壺坂付近  17,3,18

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                    吉備から金剛、葛城を望む 




園芸、数珠サンゴを外に出す、松、梅盆栽に肥料をやる、遅咲きの菊を整理、
メダカケースを2ケース掃除、芝さんから白メダカ16匹里帰りしてケースに入れる。
もともとケースに入っていたメダカは産卵用に鉢に移す。予定していたメダカの産卵の用意は完了。
芝さん、服部(奥)さん来客。
                       3,891歩
 


by beyonyo | 2017-03-24 07:29 | 田舎の風景 | Comments(0)
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                 月ヶ瀬梅林・鹿飛谷  17,3,22

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土産物店の庭の枝垂れ梅

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園生姫と月ヶ瀬梅林

後醍醐天皇が笠置落城の折天皇の「側女」月ヶ瀬へ逃れ村人に助けられ、紅花染の媒介剤としての「鳥梅」(黒梅)のつくり方を教えた、これが高価に売れるので村人はこぞって各地に梅を植え梅林がひろがり(約10万本)、梅の花と渓谷による梅渓となる。
日本初の国の名勝の一つとして指定を受けた(1922)

人の多い連休を避けて来てみたが観光客は意外と少ない、何度も来ているが寂しい感じだった。
平日で若い人はいない、高齢者もいない、ほとんど中年以上のカップルが多かった。



月ヶ瀬梅林に行く、名阪香芝インターへ入って45分で到着、散策の後帰りに堺市金岡のAプライスに買い物、帰宅したら芝さんが呼んでくれ服部さんとメダカ談義。
                   7,052歩





by beyonyo | 2017-03-23 07:33 | 花と盆景 | Comments(0)
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             小谷城址(郷土館) 堺市豊田  17,3,19

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                   250年くらい前の建物

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小谷城は標高約80mの独立した山で13世紀(鎌倉時代)中ごろに自然のままを城としてつかわれた。平一族の小谷氏の居城であった。

小谷氏は家伝によると、池禅尼(平清盛の継母)は源頼朝が平清盛に捕えられ、殺されそうになったとき、幼少で可哀想だと言って命乞いをし頼朝を伊豆に流し、義経を鞍馬寺に送った。

その後月日は流れ、頼朝、義経が成人して、京に攻め入り、平家一門を西国へ走らせた。
池禅尼の実子頼盛とその子孫だけは、京に呼び戻し、昔から平氏の居住地(現在の京都国立博物館から六波羅密寺)に住まわせたという。
それにしても源氏の世の中では、京都に居ずらく堺に赴任してくる。
鎌倉幕府の命令で、和泉国政所を勤め、曽孫の政有の時に現在の小谷城一帯に城郭の地割をして城が完成する。

八代目の時に楠正成の軍に加わり南朝のために戦い、笠置の合戦で戦死した。

九代目では小谷城は、千早、赤坂の南朝方から(浜の寺、浄土宗大雄寺)通信を送る「狼煙火」の中継所となり、また一方天野山行宮を守る裏木戸のかなめ城としての役目を重要であった。

二十三代目の時織田信長の根来攻めがありその時落城した。
城主は城に火をかけ、自らは鉢ヶ峰に逃げて切腹しようとしたが、既に敵が回っていたため長峰の一本松のところで切腹した。墓は鉢ヶ峰に今も残り供養されている。

二十九代目は大坂冬の陣、夏の陣に徳川方となって参加したという。
                     (郷土館資料 抜粋)

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全館内撮影禁止だったが堺銃、鉄砲・甲冑や槍などの武家用具、仁徳天皇陵出土の須惠器など数多い出品を見ることが出来た。
小谷氏の子孫を通じて歴史の一端に触れられ良い散策ができた。



夜中から降った雨は夕方まで続きうすら寒く何する気も起らない。
骨休みの日になった、田井戸に恒例の「いかなごの釘煮」を貰いに行く。
夕方雨が上がりシャッターを洗う。
           1,147歩





by beyonyo | 2017-03-22 07:02 | 歴史散策 | Comments(0)