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beyonyoの旅日記

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出歩くのが大好きなbeyonyoの写真の記録

<   2017年 08月 ( 17 )   > この月の画像一覧

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                    蛾  17,6,21



園芸、香丁木、杜松、のポット苗を配置替え、プランターの排水口を5個コーキング、
桜の枝を剪定し落ち葉掃除。
予定していた京都大文字の送り火は行けなかった。
Sさん来客
                1,777歩



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by beyonyo | 2017-08-17 05:11 | 虫たち | Comments(0)
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              室生川の景色  宇陀市  17,8,4


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                       大野寺付近


園芸、菊の苗9本とストレプトカーパスを植える。
午後、橋本へ買い物。
Sさん来客。
            2,507歩




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by beyonyo | 2017-08-16 07:50 | 田舎の風景 | Comments(0)

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知足院参道  奈良雑司町  17,7,9

大仏殿の裏を正倉院を経てさらに奥へと進むと奈良奥山ドライブウエイの入り口の付近にある知足院。
大勢の観光客もめったにここまでは来ない、時代劇で見るようなさびれた静かな佇まいのこの場所が今回の散策のお目当てだった。

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JR奈良駅から歩いてやっと付近まで来たが疲れた足はここからも遠かった。

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本堂

知足院は寛平二年(890)に建設され平安末期、南都焼き討ちの、平重衡(たいらのしげひら)の軍勢によって焼かれた大仏さんの再建で、造寺の長官を勤めた、佐大瓣の藤原行隆が大任を果たし無理がたたって亡くなった後に、嘆き悲しんだ娘が毎日お地蔵さんに祈ってました。

すると七日目の朝、お地蔵さんの手に手紙(文ふみ)が握られていたので、びっくりした娘が文を取り上げて見るとそれは紛れもなく父、行隆の字で兜率天(とそってん)の観音様の元にいると書かれていた。

知足院本堂には、その文使い地蔵が安置されている。
年に一度7月24日に御開帳されるそうです。


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百人一首に収録されている伊勢大輔に詠まれた奈良の八重桜はここ知足院の八重桜が原木とされている。

「いにしえの 奈良の都の八重桜 けふ 九重に 匂いぬるかな」

大正12年国の天然記念物に指定され奈良県奈良市の花となっている。

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奈良万葉ドライブウエイ入り口に来て最初に来たのが60年前であった、つい昨日のように蘇えった。
疲れた足だが歩いて来れたことに感謝して帰路に向かった。



園芸、菊の支柱と消毒、残った苗を11鉢植える。
            3,705歩



















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by beyonyo | 2017-08-15 05:31 | 歴史散策 | Comments(0)
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栖原港  和歌山湯浅  17,8,3

名産シラスの漁港、小さい海水浴場もあり民宿もある遠い故郷に帰ったような気がした港町だった。

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湯浅の町から栖原港に向かう道

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遠く有田の風車を遠望



sarubiaの妹夫婦が来客。
2,832歩


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by beyonyo | 2017-08-14 06:20 | Comments(0)
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                 紀見峠島谷の里  17,8,7



お盆のお供えを買いに橋本やっちょんに行き、松源とコスモスに立ち寄る。
Hさんよりメダカ「だるま」を戴く。
S、H、さん来客
          4,357歩


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by beyonyo | 2017-08-13 06:59 | 雲のある風景 | Comments(0)
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                  カゲロウ幼虫  17,8,5

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メダカの卵孵化して一か月ほど過ぎ、稚魚を仕分けして見たことのない幼虫が居た。
どうやらカゲロウの幼虫であることがわかった。


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                       17,8,9

また違うメダカの稚魚の中にも体形と色が違う幼虫を見つけた。
幼虫のとき泳ぐのに必要か??上のは尾が三つに分かれ、此の幼虫は尾が二つである。
しばらく観察してみる。



息子らが来てお墓詣りに行く。
          2,090歩



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by beyonyo | 2017-08-12 07:14 | 虫たち | Comments(0)
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                   カゲロウ  17,8,5




お盆のお墓の花をくろ麻呂の里に買い物。
作業場の整頓。
                      1,595歩


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by beyonyo | 2017-08-11 06:58 | 虫たち | Comments(0)
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               国宝梵鐘(奈良時代)  17,7,9

重さ26,3トンもある梵鐘は東大寺創建当時のもので、鐘声の振幅は非常に長く日本三名鐘の一つに数えられている。

国宝鐘楼(鎌倉時代)
この鐘楼は鎌倉時代の東大寺復興に大きな足跡を残した重源上人を継ぎ、大勧進となった栄西禅師が承元年間(1207~1210)に再建したもので、大仏様にやや禅宗様的要素を加味した豪放な建物である。
                         (説明文を写す)


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                            鐘楼よりの大仏殿



台風や雨で桜の落ち葉の大掃除。
園芸、菊の手入れ。
Sさん来客。

              3,387歩


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by beyonyo | 2017-08-10 04:39 | 歴史散策 | Comments(0)
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地酒・天下錦  名張市 17,8,4 

国道165号線を伊賀路に向かうと奈良と三重の県境付近にある蔵元。
伊勢路に行った帰りに時々立ち寄る、今回は店内でこの写真を拝見、店主の奥さんに尋ねたら、三船敏郎主演の映画の中で「天下錦」を使われ、お礼にお酒を贈ったら記念に戴いたそうです。

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天下錦の味のある書は、 元東大寺官長・清水公照 書


酒銘の「天下錦」は「天下にとどろく錦なれ」の願いを込めたもので蔵の創業は明治8年、原料米である山田錦を自家栽培して、赤目四十八滝の名水で造った一味違う地酒です。
晩酌用に上撰を久しぶりで一升瓶を買ってしまった
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        全国新酒鑑評会にて金賞常連蔵 蔵元の福持酒造



昨日、五年生の白メダカが死んで鉢の後かたずけをしたら、稚魚が9匹誕生していた。
卵から孵るのに約10日ぐらいかかる、元気であれば卵は親が全部食べてしまうが、老衰で弱ってそれもできなかったことを知った。
一番最初に貰ったメダカで3年間癒やされ特に印象に残った。
子孫を残した最後の9匹は特別大事に育てたいメダカになった。
          2,717歩





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by beyonyo | 2017-08-09 04:12 | Comments(0)
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                      万葉句碑  湯浅栖原  17,8,3 

ゆらのさき しほいにけらし しらかみの いそのうらみを あえて こぐなり
                         万葉集 巻九 (一六七一)

天宝元年(701)持統天皇が二回目の牟ろ(白浜)温泉への行幸の途の歌(詠み人不詳)
糸我峠(有田市)から尾根を伝って栖原海岸への持統天皇の従者が口ずさんだ歌。

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                   施無畏寺(せむいじ)参道  

ここ施無畏寺は明恵上人開基のお寺で裏にそびえる白上山は(万葉集に詠まれた)若き日の明恵の修業されたところ。

明恵は自己に対して徹底的に厳しい人だった。仏教史学者の辻善之助は、「日本の仏僧で確実に一生女性を犯さなかった人は明恵だけである。」

明恵は紀州の生まれで父は高倉院の武者所の平重国であった。
八歳のとき父母に死別し母方が紀州有田郡の豪族湯浅氏で、両親を失ったのち母方の伯母夫婦の手で養われた。

建永元年(1206)明恵は、後鳥羽上皇の院宣により高尾山の別院栂尾寺(とがのう)を再興し高山寺と号した。
この寺に講堂が完成したころ、承久の乱(1221)がおこった。
後鳥羽上皇らが鎌倉幕府から政治力を奪回すべく企図した政変で、この時の幕府軍は怒涛のごとく京の地へ侵入し、公卿から女官、遊女のすえにいたるまで襲ったが、明恵は寺へのがれてきた敗兵をかくまい、ついに捕われの身となった。
しかし幕府軍の総指揮官北條条泰時はかえって明恵の風格にうたれて釈放し、泰時が執権となるとしばしば高山寺へきて仏法を聞いたという。
「日本の名僧100人」より抜粋

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施無畏寺参道から見下ろす栖原海水浴場

湯浅に来て施無畏寺を訪ね本堂には行けなかったが二つの歴史に出会い、湯浅の地名の訳も知ることが出来た。



橋本やっちょん広場に買い物。
台風5号近畿直撃で心配していたが何の影響もなく終わった。
準備はメダカ鉢が雨で水量が増して逃げられるのを防ぐ用意をしたが正解だった。

親メダカ5年生が死ぬ、産卵が終え体力限界日々食欲も亡くなり活動も鈍く衰えて行くのが日に日によくわかり生き物との葛藤が続いた。
         2,428歩








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by beyonyo | 2017-08-08 08:48 | 万葉歌碑 | Comments(0)