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beyonyoの旅日記

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出歩くのが大好きなbeyonyoの写真の記録

越塚御門古墳見学会 2010・12・12

12月9日明日香で新しい古墳発見の報道があり、昨日、現地見学会に参加。

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             毎日新聞12月10日朝刊 引用
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                     現地案内
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9:15分現地到着9:35分見学が始まり10:10分にはこんなに列が出来て11:00には1500人程になった。(帰り道に写す)
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       右の牽牛子古墳の裾を通り、左下の新発見古墳を見下ろす

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    「越塚御門古墳」 明日香村大字越小字塚御門194 10,12,11

飛鳥時代の女帝、斉明天皇(594~661)を葬ったとみれれる牽牛子塚(けんごしずか)古墳のすぐ下で,未知の古墳が見つかった。7世紀後半、牽牛子塚とほぼ同時に造られたと見られる。
斉明天皇の孫の大田皇子(おおたのひめみこ)の墓とみられ、667年に斉明陵に葬ったという「日本書記」の記述通りの発見となる。

文献上も、地表面の痕跡からも全く知られていない古墳で、村教委は地名から「越塚御門古墳」と名付けられた。

牽牛子塚の石槨は二室に仕切られ、中大兄皇子(天智天皇)が斉明天皇と合葬したとする「日本書紀」の記述通りだが、中大兄皇子の娘の、大田皇女(大津皇子の母)のはかが未発見だった。

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                    バラスは墓道
①古墳は版築で築かれているが,墳形・規模は不明                                   ②埋葬施設については天井部と床石からなる組合せの刳り貫き式横口式石槨です。形状は鬼の俎・雪隠(明日香村)と同様の構造となっています。
床面にはコの字形に溝を設け配水機能を持たせるとともに棺台としての範囲を明示していると考えられます。③棺については石槨内から漆膜片が出土していることから漆塗木棺が埋葬されていたと考えられます。
④築造年代については7世紀後半頃と考えられます。
このように、今回の成果は越塚御門古墳と隣接する牽牛子塚古墳を解明する上で貴重なデータを提供しており、今後飛鳥地区の終末期古墳を考える上で重要な資料となるでしょう。
         明日香村教育委員会 越塚御門古墳パンフレット(まとめ)より
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                  パンフレット表紙
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             牽牛子塚と越塚御門塚は隣接していた

(以前に関連したブログ)
 牽牛子塚古墳(明日香散策) 2008、3,6
 牽牛子塚古墳見学(明日香散策) 2010,9,12
 第35代皇極第36代斉明天皇陵(歴代天皇陵めぐり) 2010,11,9

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             牽牛子塚古墳の入口 10,12,11
       牽牛子塚と越塚御門塚の入口は同じ方向を向いている

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                 2010,12,11 散策
                     
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by beyonyo | 2010-12-12 06:32 | 明日香散歩 | Comments(0)