高野街道NO、24 2012・4・19
葛城神社
紀見峠(400m)を下り最初に出会う葛城神社、牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)とも称し除疫神として京都祇園(八坂神社)が総社である。
牛頭天王は、もとはインドの釈迦や弟子の僧坊である、祇園精舎の守護神であった。
京都祇園社の紋が胡瓜の切り口に似ている所から、祇園さんの紋を食べるのは恐れ多いと最近まで食べなかったと伝わる。 (説明版より抜粋)
紀見峠山麓の街道で一休みする絶好のところであった。
昔の高野詣りの旅人も同じであったことだろう。
家数も少ない中で近所の人に声をかけたら、紀州弁のなまりで返事が返ってきた、河内の国から峠を越えて紀州路に入った何とも言えない旅の懐かしさを感じた。
木無患子(ムクロジ)の木
境内にあり通常高さは10~15m直径は0、3~0,4mになるが、この木は高さ29,7m胸高幹周り4,2mと通常に比べ、はるかに大きく珍しい存在で高知県須崎市大谷の勢井白王(伊気)神社境内についで全国第二位の規模とされている。
山麓、柱本付近、間もなく国道紀見峠和歌山方面トンネル出口に合流
国道トンネルを出たら立派な桜並木の風景であるが、道路拡張の工事のため今年が最後の花になるかも?
慶賀野交差点から左に分かれる角にある地蔵堂
慶賀野交差点現在の景色は、高野さんに向かう南海電車が走る(地蔵前より望む)
地蔵堂より少し行くと、この家の人が昔鍛冶屋をしていて冬寒い時の旅人は、フイゴの火に暖まり一息をいれたと先祖の人から聞いていると話された。
一声かけ又、年寄り仲間の懐かしい話が聞けた。
街道から又国道に戻る、一転南海高野線「林間田園都市駅」前の風景となる、高野街道散策の中でこれほど見事な変身した所はない。
南海が昭和56年11月開業した、計画戸数11,320戸、計画人工42,000人の玄関口。
五里石の付近に一願不動の案内板があり道が行き止まりになった所にあった、高野街道沿いでないが立ち寄ってみた。
柱本を過ぎ橋谷の国道沿いに「五里石」があった。
この場所から200m柱本寄りにあったが、交通事故に遭いこの場所に移された、無残に折れている、ここは墓所らしく昔のままのようである。
左右からスピードの出た車が行き交う、一枚のシャッターも中々ままならぬ困難である。
五里石
帰りに林間田園都市駅の付近を散策したら落ち着いた雰囲気の三石台、計画的に出来た街らしく、モダンなデザインの洋風建築、神戸の山手に来たような気分になった。
上から向の山裾にあるであろう高野街道を望んでみた。
紀見峠駅 (南海高野線)12,2,3