宮山古墳 2014・12・26
宮山古墳遠望 御所市室 14,12,8
以前古墳の周りを車で一周したが入り口を見つける事が出来なかったが
黒岩重吾 著の「古代史の真相」を読んで、歩いて古墳を一周意外なところから上り口が解った
八幡神社
八幡神社は孝安天皇室秋津島宮趾であったことも知る、
ここから宮山古墳の上り口
暗く鬱蒼とした急斜面の森へ一瞬躊躇したが勇気を出して登ることにした
宮山古墳後円部
上に上がると周りの木は伐採されて明るい丘であった
南北に二つの石室があったが竪穴式で長持型の石棺は珍しいらしい、結晶岩の小口積みによって成り天井石に(加古川市付近で出土する軟質の石材)が用いられている。
5世紀代に長持型石棺を持つ古墳は大王級の人物を被葬者としている。
石棺には全面朱が塗られていた。
被葬者は古くは明治8年発行の一圓札の人物、「竹内宿禰」が有力視されていたが近年は「葛城襲津彦」説が多い。
後円部上に立てられた靭埴輪は、高さ147cm最大幅99,5cmある
古墳の裏より金剛山を望む
古墳北側より葛城山を望む
古墳の背後の巨勢山丘陵には総数800基にも及ぶ巨勢山古墳があるが
宮山古墳は南葛城地域で最初に築造された古墳である。
古墳の付近のR309号線を京奈和高速道が交差した。
4年前に秋津遺跡発掘などで工事が遅れているようだったが巨勢山トンネルに繋がるのも近くなった。
京奈和工事現場より宮山古墳を望む(車中より)
★橋本やっちょん広場に、隣人夫婦と正月用の花を買いに行き午後墓参りに行く、
2,608歩
今年もありがとうございました
来年も変わらずよろしくお願い申します
皆様どうぞ良いお年をお迎えください