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beyonyoの旅日記

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出歩くのが大好きなbeyonyoの写真の記録

姫路城④ 二の丸から天守へ 2015・9・5

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         はの門南方土塀  15,8,31


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                はの門


         すぐそこに在るような天守だが迷路にようでまだまだ遠い


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          はの門の石塔籠の基礎


姫路城では、姫山やその近隣にあった寺の墓石や石仏、古墳の石棺などの石造品が石垣や建物の基礎に転用されています。
の門では、基礎に六角形に加工された石材が転用されています。
これは、もともと石灯籠の基礎として使用された石です。


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の門


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姥ヶ石


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石垣の上方に欠けた石臼が間詰め石として積まれています。これを「姥ヶ石」と呼んでいます。
羽柴秀吉が姫路城を築くとき石集めに苦労していました。
城下で餅を焼いて売っていた貧しいお婆さんがそのことを聞き、使っていた石臼を寄付しました。
秀吉は喜んで石臼を石垣に使いました。
この評判はすぐに広まり、国中からたくさんの石が寄付され、築城工事は急速に進み、立派に完成したというのです。
「姥ヶ石」が積まれている石垣は池田輝政が築いたもので、この話は伝説です。
そのほかに「姥ヶ石」にはお婆さん(姥)は妊娠しない(孕まない)ことにかけて、石垣も孕まないようにとのお呪いで積まれたという説もあります。



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の門を上がりターン水一門をくぐり天守へ入場する意外な迷路の仕掛け




園芸作業だけで4,231歩、疲れて19:00に休む。
涼しくなったので二階で寝ることにする、万葉の歌人「額田王」の読書を始める。




by beyonyo | 2015-09-05 05:51 | 歴史散策 | Comments(0)

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