安倍清明神社 2015・12・8
安倍清明神社 阿倍野 12,11,30
一条天皇の命により寛弘2年(1005)安倍清明誕生の地に創建されたと伝えられる神社。
安倍清明公像
少年期に京都に出て天分、歴法。占術などを修め、師の推挙で陰陽師として宮中に出任し、天変地異などを予知したり、宮中の大切な行事の日程や方法を占い、また、百鬼夜行と言われた時代、大江山の鬼退治など、都の人々の不安の解消に活躍しました。
今昔物語は清明の予見力を「その占いは神のごとし」と書いています。
産湯の井戸
㤗名稲荷神社
村上天皇の時代、河内の国の人、石川悪右衛門は妻の病気をなおすため、兄の蘆屋道満の占いによって、和泉の国の信太の森(現在の和泉市)に行き野狐の生き肝を得ようとする。
摂津の国東生郡の安倍野(現在の阿倍野区)に住んでいた安倍保名(伝説上の人物とされる)が信太の森を訪れた際、狩人に追われていた白狐を助けてやるが、その際にけがをしてしまう。
そこに「葛の葉」という女性がやって来て保名を介抱して家まで送り届ける。
葛の葉が保名を見舞っているうち、いつか二人は恋仲となり結婚して童子丸という子供をもうける。
(保名の父郡司は悪右衛門と争って討たれたが、保名は悪右衛門を討った)。
童子丸が5歳の時「葛の葉」の正体が保名に助けられた白狐であることが知られてしまう。
次の一首を残して葛の葉は信太の森へと帰ってゆく。
恋しくば 訪ね来て見よ和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉
現在では、あり得ない話だが、子供の頃から信太山にはかかわりがあり、ロマンの信太の森はよく訪れた事で安倍清明に辿り着く縁を頂き何時か訪れたい思いが実現できた。
信太の森の神社参道 06,10,1撮影
sarubia信太の森 こちらへどうぞ
★一昨日の棚の作業を終わりメダカの水槽の掃除、
お隣の主人の退院が今日と聞いて病院にお見舞いに行く。
7,304歩