適塾跡・緒方洪庵 2016・4・13
適塾跡 大阪北浜 16,3,13
大阪大学の医学部になった適塾
緒方洪庵 銅像
江戸時代後期の武士(足守藩主)医師、蘭学者で大坂に適塾を開き人材を育てた。
天然痘治療に貢献、日本の近代医学の祖といわれる。
洪庵の功績としても有名だが、適塾から福沢諭吉、大島圭介、橋本左内、大村益次郎、長与專斎、佐野常民、高松凌雲など幕末から明治維新にかけて活躍した多くの人材を輩出した事である。
適塾の部屋
2階からの眺め
北浜のビジネス街ビルの谷間の適塾、2階の大広間かなり広い部屋だが修業するものは一人畳1畳の生活をしたという。
洪庵は病弱だったために武士を諦め医者になったという。
妻の八重は夫の間に7男6女(うち4人は早世)を儲け、育児にいそしむ一方で洪庵を陰から支えた良妻であった。
若く血気にはやる塾生たちの面倒を嫌がらず見たりして、多くの人々から慕われた。
福沢諭吉は、「私のお母さんのような人」「非常に豪いお方だあった」と回想し佐野常民は若き日に受けた恩義が忘れられず、八重の墓碑銘を書いている。
洪庵の死後は彼の肖像画を毎日拝み遺児の養育に力を尽くした。
八重の葬儀には門下生から政府の関係者、業者など朝野名士や一般人が2000人ほど参列し葬列は先頭が日本橋に差し掛かっても彼女の棺は25km離れた北浜の自宅から出なかったという。
この度2度訪れ、日本の偉大な夫婦を教えられた、以前から訪れてみたかったところであったが想像していた以上の洪庵の適塾だった。
残念なのは、資料撮影禁止であった。
★園芸、菊の土を用意するため、国華園に行き材料を買ってくる。
8種類をブレンドして20ℓの袋6袋作る。sarubiaは京都原谷苑にヨガの仲間と牡丹桜見物。
5,161歩