柿本寺跡 2016・9・10
柿本寺跡 天理市櫟本 16,9、3
創建・奈良時代 ?
この辺りはかつて、柿本氏の氏寺でここに柿本人麻呂の遺骨を葬ったのが今の歌塚だといわれています。
寺跡には今も礫石の一部が残っており奈良時代の古瓦が採集されています。
歌塚
文献では延久2年(1070)の「興福寺雑役免帳東諸部」にその名が見るのが最初で寿永2年(1183)の「柿本朝臣人磨勘文」に「春道社の杜の中に寺あり、柿本寺と号す」と記されています。
南北朝時代の建武4年(1337)には北朝軍の陣地がおかれました。
室町時代頃は現在の櫟本小学校西側の地に移転し、江戸時代には学僧が多く出て和歌や茶の湯に親しみました。
明治時代の初め頃に廃寺となりましたが、南北朝時代前後に描かれた「柿本宮曼荼羅」ほかの寺宝が今に残されています。
なお、今の歌塚は享保17年(1732)に森本宗範や柿本寺の僧によって建立されたものです。
(上記いずれも説明板より写す)
和爾神社古墳の下にあり、歌塚は意外な歴史のところだった事を知り有意義な散策になった。
★花葉の森に野菜買いに行く。
花菱宅に行き、午後は田中に熱帯魚観賞用の91×30×42の大型ケースで一人で持ちずらい大きなのを頂く。
帰り道、家の付近でメダカを頂いた服部さんと町会長と話し中のところを通りメダカトリオ3人で一時間以上のメダカ談義になった。
何時も夕方6時から4人でウオーキングされる近所の主婦とも出会い、新旧8人の人と関わる一日だった。
2,776歩