大塚山古墳 2016・12・6
大塚山古墳 奈良川合町 16,11,30
5世紀後半がら築かれた古墳で築造時の形をかなり変えていると言われている。
中世に吉田山城主義長がこの墳丘を河合城として利用したという。
明治40年には付近で大演習が行われ、墳頂部をかなり削平して明治天皇の本部が置かれた。
現在は田圃になっているが、周囲には周濠が巡らされていた。
後円部側に幅32m、全方部で40mの周濠の後が残っているという。後円部頂上に窪みがあり、周辺に石材が散乱しているとのことだが、このため、竪穴式石室が築かれていたと推定されている。
全長215mと大型で、同時期では奈良盆地内で最大級の古墳とされ周辺の古墳7基を含め「大塚山古墳群」として(昭和31年)国の史跡に指定された。
★園芸、咲き終わりの近づいた菊の整理、フレンチラベンダーとオステオルペルマの苗を植える。
メダカ3鉢を屋内に入れる。しばらく菊の後始末が忙しい。
3,295歩