知足院 2017・8・15
知足院参道 奈良雑司町 17,7,9
大仏殿の裏を正倉院を経てさらに奥へと進むと奈良奥山ドライブウエイの入り口の付近にある知足院。
大勢の観光客もめったにここまでは来ない、時代劇で見るようなさびれた静かな佇まいのこの場所が今回の散策のお目当てだった。
知足院は寛平二年(890)に建設され平安末期、南都焼き討ちの、平重衡(たいらのしげひら)の軍勢によって焼かれた大仏さんの再建で、造寺の長官を勤めた、佐大瓣の藤原行隆が大任を果たし無理がたたって亡くなった後に、嘆き悲しんだ娘が毎日お地蔵さんに祈ってました。
すると七日目の朝、お地蔵さんの手に手紙(文ふみ)が握られていたので、びっくりした娘が文を取り上げて見るとそれは紛れもなく父、行隆の字で兜率天(とそってん)の観音様の元にいると書かれていた。
知足院本堂には、その文使い地蔵が安置されている。
年に一度7月24日に御開帳されるそうです。
百人一首に収録されている伊勢大輔に詠まれた奈良の八重桜はここ知足院の八重桜が原木とされている。
「いにしえの 奈良の都の八重桜 けふ 九重に 匂いぬるかな」
大正12年国の天然記念物に指定され奈良県奈良市の花となっている。
奈良万葉ドライブウエイ入り口に来て最初に来たのが60年前であった、つい昨日のように蘇えった。
疲れた足だが歩いて来れたことに感謝して帰路に向かった。
★園芸、菊の支柱と消毒、残った苗を11鉢植える。
3,705歩