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beyonyoの旅日記

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出歩くのが大好きなbeyonyoの写真の記録

かわちながの百景 NO94 2018・4・18

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                       観月亭  天野山金剛寺  1965,6,12
                           井上喜代一氏のスケッチ

大和賀名生から逃れて、摩尼院に行宮された後村上天皇は、配所のわびしさに亭をつくり、月を賞で、詩歌の風流をおわれたとしても、かえってあわれというべきである。

中秋の名月は、おそく、九時をすぎて、まむかいの鎮守の森の高いいただきのかかる。
楼門や多宝塔の影を、青白くうつして、心なしかじつにわびしい。
                     井上喜代一 文

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観月亭
御影堂は寺再興の初期ごろに高野山から移してきた弘法大師の御影をお祀りしているところです。
南朝の天皇をお迎えしたのち、天皇をはじめ公卿ら側近の文官はここでも御歌会を催されました。

御影堂の一部を改造して付け加えたところが観月亭です。
国政を延喜天暦の昔にかえそうという理想を掲げられた後醍醐天皇でしたが、その遺志を受けて後村上天皇も、平和裡に京都への遷幸を望まれます。
しかし行宮にいて思い出されたのが天暦年間に勅命に正平十一年一月と三、四月に和歌の会が催され、この時の和歌を含めて、南北両朝分立の元弘元(1331)年から弘和元(1381)年の五十年間にわたる南朝方の歌を宗良五撰で一四二〇首集成しました。
「新葉和歌集」二十巻がこれで、長慶天皇により準勅撰集となりました。

都を遠く離れた僻地で詠まれたので素直な感情を表した作品が多く、中世和歌史上特異な存在と評価されたいるようです。


         君住めば 峰にも尾にも 家居して深山ながらの 都なりけり

この一首はこの歌集の代表作といわれています。現在は御影堂及び観月亭が一体化され重要文化財の指定を受けています。
             史跡案内  南 昭雄  文


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                           御影堂より大門を望む


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6年前続けていた、「かわちながの百景」天野山・金剛寺金堂の修理でできなかったが3月27日落慶法要が行われて南北朝時代の一コマに添えることが出来た。


園芸、雑用
           1,504歩






by beyonyo | 2018-04-18 08:06 | かわちながの百景 | Comments(0)

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