塚廻古墳 2018・10・19
塚廻古墳は、明治時代の地図に描かれた畔の形状から、前方部の短い前方円墳(帆立貝形古墳)であった可能性も考えられますが、現状では直径約35m、高さ4,5mの二段築成の円墳です。
また、古墳の周囲を巡っていた濠は、現在埋まっています。
明治45年(1912)に墳頂部の発掘調査が行われ、木棺と考えられる埋葬主体部が見つかっています。
そこからは道鏡2面や刀剣と共に硬玉・碧玉・ガラス・滑石製勾玉・碧玉製管玉、緑色片岩製棗(ナツメ)玉、ガラス製丸玉、滑石製臼玉などの玉類が多数出土しています。
仁徳陵古墳のくびれ部の東に位置しており、源右衛門山古墳や鏡塚などと(この部分読み取れない)陪塚(大型古墳の周囲に近接する小型古墳)の一つと考えられます。
造られた時代は仁徳陵古墳と同じく5世紀の中頃とかんがえられます。
墳丘の中心部は昭和33年5月14日に仁徳古墳の陪塚と考えられ円墳として国の史跡に指定されました。
(説明文を写す)
古墳撮影中、自転車の人が声をかけてくださり、ボランティアで廻塚古墳を管理している人だった。
説明板などほとんど気が付かない電柱の陰に在ったり、石碑も新住宅に囲まれ、家の人にお願いし庭を通って行かなと見えない状態、幸い古墳に登るけもの道がついてあり、かろうじて撮影できた。
★痒みの薬のせいで眠気が続いた一日だった。
イオンに買い物。
T氏来客メダカケース照明、フイルター頂く。
園芸、シュウカイドウが終わり配置換えをする。
2,578歩