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[ 2010-01 -25 06:48 ]
2010年 01月 25日 ( 1 )
人工的な都市機能を持ていたとされる纏向古墳の一角です。


「石塚古墳」10,1,18 「勝山古墳・纏向小学校・三輪山」 四世紀の半ば頃に忽然と姿を消した都市とされ、都市機能を有する当時の日本の中心地であったことは間違いない史実のよう。


「矢塚古墳」 「東田大塚古墳」
木製品の年輪年代測定などから纏向石塚古墳は遅くとも225年頃までには築造されていたことが判明している。弥生時代の末期から古墳時代前期にかけてであり、邪馬台国の時期と重なる。
当時としては広大な面積を持つ最大級の集落跡であり一種の都市遺跡である。


[珠城山古墳」 「説明板」

「古墳群を歩いた地図を作製」 10,1,22 初瀬山~三輪山の山麓に山の辺の道があります。記入洩れ

「ホケノ山古墳」 10,1,18
ホケノ山に駐車して箸塚を一周、纏向、珠城山、景行天皇陵など、卑弥呼を想像しての四時間程の散策でした。