ブログトップ | ログイン

beyonyoの旅日記

beyonyo.exblog.jp

出歩くのが大好きなbeyonyoの写真の記録

カテゴリ:古墳( 110 )

f0000521_07182977.jpg
竜佐山古墳 大仙中町  18,9,24

時代 5世紀後半~末  古墳の規模 墳丘長61m後円部高8m
古墳の形 帆立貝形前方後円墳  市史跡 2016年4月11日指定

竜佐山古墳は前方部が短い帆立貝のような形をした前方後円墳で、東の孫太夫山古墳や西の狐山古墳とともに仁徳天皇陵古墳の陪冢の一つです。
調査の結果、前方部北西隅には濠を渡る土手があったと考えられます。
埋葬施設や副葬品などは明らかになっていませんが、墳丘から転落した葺石や埴輪が濠から見つかりました。埴輪の特徴から仁徳天皇陵古墳よりも新しく、陪冢中では最も新しい時期に築かれたと考えられます。
陪冢:大型古墳の周囲に築かれた中小古墳。

(説明板を写す)

f0000521_07184799.jpg
濠の向こうに白の彼岸花

f0000521_07183813.jpg
セキレイ鳥 (濠の中)

先日の台風21号で荒れ果てた古墳にも小鳥には住みやすい居場所がある。




郵便局、銀行、橋本やっちょん広場、田井戸、弁慶に行く。
久しくスシロで昼食
S、井出さん来客。
1,758歩



[PR]
by beyonyo | 2018-11-03 08:53 | 古墳 | Comments(0)

f0000521_04595874.jpg

                銅亀山古墳  大仙町  18,9,24

時代 5世紀中頃   古墳の規模 一辺26m以上,高さ5,4m
古墳の形 方墳

銅亀山古墳は、仁徳天皇陵古墳の前方部西側、外濠に沿って造られ仁徳天皇陵古墳と関わりのある陪冢と考えられます。
墳丘は2段に築かれ、百舌鳥古墳群では数少ない方墳です。
発掘調査では、墳丘の東側で濠が巡ることを確認し、円筒埴輪が出土しました。
南側は濠が巡らないことが判明したため、単純な方墳ではなく前方部や造り出しがつく可能性があります。
倍冢:大型古墳の周辺に築かれた中小の古墳。
(説明板を写す)


f0000521_05001884.jpg
                       発掘された円筒

f0000521_05000839.jpg
                     空から見た銅亀山古墳

数多く回った中で一番保存率も良く陪冢らしいと思う。



風邪気味の上、寝不足が続き体調不良の中、近大病院にペット撮影に行く。
田中来客。
              3,820歩



[PR]
by beyonyo | 2018-10-26 08:47 | 古墳 | Comments(0)
f0000521_04262828.jpg

産経新聞10,16朝刊記事

f0000521_04263895.jpeg
f0000521_04265874.jpg
仁徳天皇陵正面大仙公園より 18,9,24

前例のない画期的な宮内庁・堺市の調査の結果が待ちどうしい。
二重濠になっている内側の調査を行われる様子だが来年の世界遺産に向け良い結果が出ることを願うものである。



4:00起床、落ち葉掃き、9時皮膚科受診してモータースクールに講習日を予約、来年1月21日に決まる。
上新電機に車のキーの電池と時計を買い物。
メダカの浮草の整理の後昼寝、夕方の植木の水やりと落ち葉掃きもSさんが手伝ってもらう。
kasさん来客。
3,006歩







[PR]
by beyonyo | 2018-10-23 00:52 | 古墳 | Comments(0)
f0000521_10043414.jpg

                      塚廻古墳 百舌鳥夕霧町 18,9,24

f0000521_10095368.jpg
f0000521_10100846.jpg



















f0000521_10050202.jpg
                       円墳上より仁徳陵を望む

塚廻古墳は、明治時代の地図に描かれた畔の形状から、前方部の短い前方円墳(帆立貝形古墳)であった可能性も考えられますが、現状では直径約35m、高さ4,5mの二段築成の円墳です。
また、古墳の周囲を巡っていた濠は、現在埋まっています。
明治45年(1912)に墳頂部の発掘調査が行われ、木棺と考えられる埋葬主体部が見つかっています。
そこからは道鏡2面や刀剣と共に硬玉・碧玉・ガラス・滑石製勾玉・碧玉製管玉、緑色片岩製棗(ナツメ)玉、ガラス製丸玉、滑石製臼玉などの玉類が多数出土しています。
仁徳陵古墳のくびれ部の東に位置しており、源右衛門山古墳や鏡塚などと(この部分読み取れない)陪塚(大型古墳の周囲に近接する小型古墳)の一つと考えられます。
造られた時代は仁徳陵古墳と同じく5世紀の中頃とかんがえられます。
墳丘の中心部は昭和33年5月14日に仁徳古墳の陪塚と考えられ円墳として国の史跡に指定されました。
              (説明文を写す)


古墳撮影中、自転車の人が声をかけてくださり、ボランティアで廻塚古墳を管理している人だった。
説明板などほとんど気が付かない電柱の陰に在ったり、石碑も新住宅に囲まれ、家の人にお願いし庭を通って行かなと見えない状態、幸い古墳に登るけもの道がついてあり、かろうじて撮影できた。



痒みの薬のせいで眠気が続いた一日だった。
イオンに買い物。
T氏来客メダカケース照明、フイルター頂く。
園芸、シュウカイドウが終わり配置換えをする。
                       2,578歩

[PR]
by beyonyo | 2018-10-19 02:51 | 古墳 | Comments(0)
f0000521_05490828.jpg

              狐山古墳  大仙中町  18,9,24

f0000521_05492691.jpg

f0000521_05502351.jpg











f0000521_05493741.jpg
時代 5世紀後半  古墳の規模 墳丘30m墳丘高5m
古墳の形 円墳

狐山古墳は仁徳天皇陵古墳の南西隅近くにある円墳です。
発掘調査の結果、周囲は幅5mほどの濠が巡らされていたことがわかりました。
濠からは墳丘に転落してきた葺石や埴輪、須恵器などが出土しました。
濠の底からは中世の土器である瓦器が出土したことから、中世には濠に溜まった土砂がたびたび浚えられていたようです。
仁徳天皇陵古墳より、やや遅れて完成しますが、造られた位置から仁徳天皇陵古墳と関係ある可能性があります。


仁徳陵の周りを散策して謎の空間が少し埋まったような感じがした。





白血球低下予防の注射に行き、七年お世話になった先生と治療室で出会う。
上新電機新装オープンでSさんと一緒に電池を買う。
昼食のあと一時間昼寝、ジュズサンゴの苗が沢山出来、赤、ピンクの千本造りに鉢植え。
井上,Sさん来客。
                 6,592歩


[PR]
by beyonyo | 2018-10-13 06:46 | 古墳 | Comments(0)


f0000521_18464667.jpg

大安寺山古墳 大仙町 18,9,24


f0000521_18480703.jpg
f0000521_19522583.jpg













仁徳陵の中にあり西高野街道に面している。

f0000521_18491651.jpg
時代 5世紀中頃
古墳の規模 直径62m高さ9,7
古墳の形 円墳


大安寺山古墳は、仁徳天皇陵古墳の中堤と一体に造られた古墳です。
中堤が外濠側へステージ状に広がった部分に墳丘が築かれています。濠に挟まれた堤の上に墳丘が造られることは非常に珍しく、大安寺山古墳と西側の茶山古墳の他には例がありません。
仁徳天皇陵古墳は日本最大の前方後円墳で、墳丘486mを誇ります。その周辺には大安寺山古墳のように結びつきが強いと考えられる古墳(陪冢)が10基以上造られました。
陪冢:大型古墳の周囲に築かれた中小の古墳
(説明板を写す)

反正天皇陵古墳(拝所):北へ約1,3km 仁徳天皇陵古墳(拝所):南へ約1,2km


午前中棚のかたずけをして午後はメダカの寒冷紗の上にビニールを張る、メダカの鉢は雨が降っても溢れることなく安心できるようになった。
ソーラー用乾電池と灯油60リッター買う。
3,420歩







[PR]
by beyonyo | 2018-10-10 01:40 | 古墳 | Comments(0)
f0000521_17343708.jpg

                 源右衛門山古墳  向陵西町 18,9,24

時代 5世紀中頃
古墳の規模 直径34m高さ5,4m
古墳の形 円墳

源右衛門山古墳は、仁徳天皇陵古墳の北東に築かれた円墳です。
墳丘は2段に築かれ、周囲には」幅5m」、深さ1,8mの濠が巡っていましたが、現在は埋没しています。
濠の位置は道路の舗装の色を変えて示しています。
濠から見つかった埴輪の特徴から、仁徳天皇陵古墳とほぼ同時期に完成したと考えられます。
仁徳天皇陵古墳に近接し、築造時期も近いことから、仁徳天皇陵古墳と関わりのある古墳(陪冢)と考えられます。
陪冢:大型古墳の周囲に築かれた中小の古墳。

反正天皇陵古墳(拝所):北へ約1,6m 仁徳天皇陵古墳へ(拝所):南へ約1km

                     (説明文を写す)


f0000521_20193965.jpg


f0000521_20160391.jpg


3:30起床、パソコンのあとメダカのケース中、小の水を替える。
9:00過ぎ愛采ランド道の駅(岸和田)に買い物、11:00帰宅。
朝のやり残したメダカのケースの掃除、天然の水草「松藻」を入れてイメージを変える。
窓ガラスの掃除。
4,614歩







[PR]
by beyonyo | 2018-10-08 02:41 | 古墳 | Comments(0)
f0000521_05420135.jpg
鳶塚古墳 (消滅古墳) 18,9,24

鳶塚古墳は、昭和30年頃に土取りによって墳丘が失われました。
明治時代の資料には、この古墳の大きさは周囲34間(約61,8m)高さ11尺(約3,3m)と書かれています。
平成10年に行った調査で古墳の周囲をめぐる濠が確認され、そこから家形埴輪や盾形埴輪などが発見されました。
墳丘の直径約21㎡・濠幅約3m~3,5mの円墳で、5世紀後半頃に造られたと思われます。
この失われた古墳の姿をイメージして樹林地を造りました。濠は周遊路として、また墳丘の形や高さは異なりますが、古墳の位置や大きさは造られたときと同様にしています。
(説明板を写す)

原山古墳と隣どうしにある。



くろ麻呂の里に仏花を買いに行く。午後sarubiahaは友禅染に行く、服部さん夫婦と法隆寺のメダカ店に行きそのあと法起寺にコスモス畑を見に行ったが一本も花を見ない。
毎年花を取りにカメラマンが押し寄せるので迷惑して植えなかったのか?
帰り道、大和川沈下橋と太子の三尼公御票廟所を案内して帰宅する。
2,570歩


[PR]
by beyonyo | 2018-10-06 03:55 | 古墳 | Comments(0)
f0000521_21282346.jpg

             原山古墳(消滅古墳)  百舌鳥町  18,9,24

原山古墳は昭和30年4月頃に土取りにより墳丘は失われました。
この時に葺石と埴輪が見つかり、木棺を埋めた円墳であることが確認されました。
副葬品として布で包まれた鉄製の矢じり(鉄鏃テツゾク)が73本と鉄製の斧、それに土師器高坏が発見されており、古墳が造られたのは5世紀後半頃と考えられます。
明治時代の資料によると、この古墳の大きさは周囲58間3分(約106m)高さ11尺(約3,3m)と書かれていますが、平成10年に行った調査では、古墳の周囲に濠がめぐっており墳丘の直径約25m・濠幅約6mであったことがわかりました。
この失われた古墳をイメージして墳丘の大きさ(ただし高さは異なる)を芝生として濠は周遊路として元の古墳の位置に標示しています。
(説明板を写す)

古墳データベース

1.百舌鳥古墳群とは

百舌鳥古墳群は、台地の上に築かれていて、仁徳天皇陵古墳(大山古墳)や履中天皇陵古墳(石津ヶ丘古墳)を中心に、おおよそ、北は北三国ヶ丘町、南は土師町、東は中百舌鳥町、西は石津町まで、東西・南北とも4キロメートルほどの範囲に広がっています。造営は、4世紀の末から5世紀の初め(古墳時代中期)に始まって、6世紀の後半頃(古墳時代後期前半)まで続き、その間に100基を超える古墳が築かれました。

2.百舌鳥古墳群の現状

現在、半壊状態のものを含め、前方後円墳22基、円墳16基、方墳5基、形態不明1基の44基の古墳があります。もとは、100基を超す古墳がありましたので、半分以上がなくなったことになります。たいへん残念なことですが、百舌鳥古墳群で5番目に大きな前方後円墳であった大塚山古墳も、昭和20年代に破壊され住宅地になってしまっています。
(堺市ホームペイジより引用しました)

今回散策中、周りは住宅に囲まれてしまった古墳がいくつかあった。
正面だったと思われる石碑も新しく建った家の許可を得て家の裏に行かないと石碑の字が読めない古墳もあった。
事情は分からないが古墳と言えば墓地である、一千何百年前から保存されてきた土地が近年、急に開発され以前行ったときは畑であったのに、暫くして言ったら新しい家が建って様子が違う古墳もある。
最近は百舌鳥、古市古墳群は世界遺産のニュースを耳にするので現状より景観が変わることはないだろうが、他の遺跡もそうであってほしいと思った散策になった。


園芸、菊の手入れ、太陽の移動で鉢の配置替えなど。
朝から石津さん、午後から井出さん来客。
                      4,126歩




[PR]
by beyonyo | 2018-10-04 05:25 | 古墳 | Comments(0)
f0000521_16425005.jpg

長塚古墳  百舌鳥夕雲町  18,9,24

f0000521_16430120.jpg
なぜか墳丘内には長山古墳とある

時代 5世紀中頃~後半 国史跡1958年5月14日指定
古墳の形 前方後円墳 史跡名称 百舌鳥古墳群
古墳の規模 墳丘長106,4m 後円部径59,4m 後円部高9,2m 前方部幅75,2 前方部高10,6m

墳丘は2段に築かれ、南部のくびれ部には造り出しがあります。
墳丘の形は後円部よりも前方部の幅と高さが発達したもので、新しい時期に傾向を示します。
地中レーダ探査の結果、後円部の中央に石で築かれた埋葬施設があることがわかりました。
現在は埋まっていますが、墳丘の周囲にには幅14mの濠が巡り、墳丘と濠からは円筒埴輪や蓋形埴輪が見つかりました。
かつて本墳の南側には狐塚古墳があったとされていますが、その位置は堤の痕跡と重なり堤の名残とも考えられます。
               (説明板写す)

f0000521_16431183.jpg
f0000521_16432184.jpg

滝谷不動参拝、午後、橋本やっちょん広場、松源に買い物。
                  9,225歩



[PR]
by beyonyo | 2018-09-29 06:30 | 古墳 | Comments(0)