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beyonyoの旅日記

beyonyo.exblog.jp

出歩くのが大好きなbeyonyoの写真の記録

カテゴリ:歴史散策( 212 )

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                 西国三十三札所への道  天野山・金剛寺境内 18,4,6

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                西国三十三・まき尾山~ふじ井てらの当時の道しるべ

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                      道しるべ碑は昔は此の下にあった

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                           旧街道

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                        現在の街道より見下ろす





園芸、紫蘭、クリスマスローズ植え替え、
メダカ卵採取、稚魚整理。
Yさん来客。
                3,824歩
 

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by beyonyo | 2018-05-26 09:05 | 歴史散策 | Comments(0)
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               後南朝最後の古戦場跡  川上村寺尾塩谷 18,4,13

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R169号線沿いの大滝ダム西岸にありダムに沈んだ集落は寺尾村塩谷と呼ばれており、長禄元(1457)年12月2日に南朝の後胤で南帝となるべき自天王の宮を足利幕府の蜜命を受けた赤松家遺臣らによって、上北山村滝川寺北山御所で襲撃し、宮の御首と神爾を奪って京都に逃げ帰ろうとした敵集団を撃墜せんとこの地に集まった川上郷土士との間に激しい戦いが行われた「長禄の変」の古戦場である。

湖底に沈んだと言われる以前の岩碑はすでに昭和34年の伊勢湾台風の時、激流に流され失ったと聞く。




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          帰り道通り過ぎたが、なんとなく気になり引返したら「後南朝」の遺跡だった。

上北山村の龍川寺は小僧の小処温泉に行くところに在り最後の宮跡であることを知り、いつか訪ねてみたい。



小屋根のトユウに花びらや木の葉が詰り、先日の夜中の雨で水が溢れたので掃除する。
園芸雑用の中で、汲み置きの甕の蓋も修理する。
国華園に花を見に行くが、買わずに帰る。
                    3,777歩



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by beyonyo | 2018-04-17 07:58 | 歴史散策 | Comments(0)
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                          三之公への道  川上村  18,4,13

入之波温泉からさらに奥へ昨年、湧水を汲みに行って、まだ奥に分かれ道があり郵便配達の人が走っているのを見た。
入之波温泉を過ぎると家はなく人里離れ大迫ダムを遡る。

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                大きい岩がせせり出し左は大迫ダムの険しい道が続く・・・

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                    冬に備え薪の燃料が貯蔵され人の気配が感じる

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                   ここまで来ると大迫ダムの最南端らしく沢になっている

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このあたりに一軒家がありその先はさらに道が細く一見人が出入りしたことが無いような気配、落石も小さい石だが道に落ちている。
危険を感じ勇気を出してユーターン、何度も切り替えしバックするブザーの音に窓からお婆さんが何事かのように見ている。
早速この先 「三之公」までの距離を聞くともうすぐらしいが、最近は人が行かないとの事。
後返りしたのは正解だった。

「後南朝」
何も知らずに大自然に触れるのを楽しみに言ったが、又、歴史の一端が繋がったドライブになった。
大台ケ原の山中に、「三之公」という変わった地名に謎を感じ調べると、南北朝時代、鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇が1336年足利尊氏に敗れて吉野に逃れ、足利氏京都に立てた北朝に対抗して南朝を開いたのが始まり。
1392年三代将軍義満の時に南朝の後村上天皇が、北朝の後小松天皇の次は南朝から天皇を出し、以後後呉に皇位を継承する約束になっていたが、こういう約束が守られた験しはなく、後小松天皇の次は、その子の称光天皇が即位した。
怒った旧南朝の後亀山天皇らが再び吉野に移り、南朝を「再興」した。これが「後南朝」である。

後南朝は曲折を経て追い詰められて行くが後亀山天皇の曾孫に当たる尊義王とその子尊秀王(自天王)忠義王の3人は川上村の山奥に居を構え最後まで抵抗したという。
当時の人は此の三人を三之公(皇)と呼んで敬い、これが地名になったと伝えられる。

三人の終焉地は、更に徒歩で2時間奥にあるらしい。

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                     かくし平・八幡平にある碑とお墓
                      (川上村ホーム頁より引用しました)

思わぬ「後南朝」の歴史に出会い現地には行けないがロマンを感じる小さい旅であった。



雨の一日で15:00まで骨休み。
今年初めてメダカの卵366個採取。
                 1,269歩














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by beyonyo | 2018-04-16 07:29 | 歴史散策 | Comments(0)
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天野山・金剛寺 18,4,6

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鎌倉時代 増長天立像   鎌倉時代 持国天立像 

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金堂

九年がかりの修理を終えて先日落慶法要が行われたので行ってみた。

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昨年三体で国宝になった。

左、木造降三世明王座像 中、木造大日如来坐像 右、木造不動明王座像
大日如来を中心としたこの三尊像は金堂に安置されているもので、大日如来は平安時代、脇侍の不動・降三世明王は鎌倉時代で仏師行快の作である。
智證大師請来の尊勝曼荼羅を極めて忠実に立体化して表現されたもので、他に類例を見ない。

駐車料、入山料、ボランティア料、仏像はさらに拝観料800円がいるのであきらめる。

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食堂(重要文化財)
一名天野殿と呼ばれ、後村上天皇が正平9年から14年(1354~59)に至るまで、正庁とされた建物。
鎌倉時代の創建で、一山大衆の食事を行ったり研究したりするための道場。






朝一からメダカの水替え、夕方までに今年卵を取る七種類の準備、昨日朝入れた産卵用シュウロには早くも一番子の卵を見る。
花菱の楓入り万年青を植え替え持って行く。
3,075歩


 


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by beyonyo | 2018-04-11 07:53 | 歴史散策 | Comments(0)
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              舞鶴赤レンガパーク   北吸桟橋 18,3,23 


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レンガ建物は12棟あり旧海軍舞鶴鎮守府の軍需品等の保管倉庫として明治35~36年に建てられたもの。
これらの倉庫の内8棟が平成20年国の重要文化財に指定された。
平成24年「舞鶴赤レンガパーク」としてオープンされ、舞鶴の歴史・文化・観光情報などが集まる場所として市民が集い賑わっている。

此の場所の付近400~500mの所にsarubiaの両親のお墓があり約50年間この場所に来ているのにまだ一度も中に入ったことがない、次回は時間に余裕をもって見学したい。



園芸、冬から春に模様替えで忙しい一日だった。
車の洗車、コノミヤ銀行など外出。
夕方ウオーキング。
                    5,791歩



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by beyonyo | 2018-03-27 08:29 | 歴史散策 | Comments(0)
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                九品寺大門  南丹市園部町  18,3,23

弘仁元年(810)空海によって創建されたと伝えられその後、白河法皇の帰依を得て伽藍の造営が行われ、白河法皇の皇子覚行法親王が入寺したという。
覚行法親王の墓所。


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173号線からるり峡を迂回して走行中、重要文化財の大門に気が付き立ち寄ったが、
先を急ぎ遠望の風景だけで立ち去った。



ウオークマンにCDの曲を入力する。
S、Hさん夫婦、Mさん来客。
                1,881歩 





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by beyonyo | 2018-03-25 07:02 | 歴史散策 | Comments(0)
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                談山神社大鳥居 桜井市  18,2,21

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御破裂山(標高618,5m)の山腹に南面して鎮座する談山神社の、北の入口に位置する大鳥居。
大鳥居は石製で、高さ約8,5m、長さ約11,5mあるが、隣地の火災の際、西側の石材の端部が落ちてしまった。
石材は花崗で、御破裂山の山腹から切り出されている。
談山神社の桜井側の入口として繁栄したことが付近の町並みから想像できる。
(桜井教育委員会説明)


メダカ4鉢野外に出す。
               5,713歩



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by beyonyo | 2018-03-04 10:45 | 歴史散策 | Comments(0)
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             上之宮遺蹟  桜井市  18,1,21

飛鳥時代の豪族の邸宅らしいと思われている裏付けは出土品などから上位の人、聖徳太子らしいと考えられている。
古墳散策中突然に出会った。


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園芸、新しい盆栽棚に鉢を戻し針金で固定。
葉菜の森に買い物、サンシュウの木を買う。
Iさん来客。
2,517歩





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by beyonyo | 2018-02-15 10:20 | 歴史散策 | Comments(0)
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           芭蕉杜若の句碑  了徳院(福島区)  17,2,10

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芭蕉の足跡を調べていたら河内の国,誉田八幡に泊まり道明寺、藤井寺に来ていることが分かり、更に親しみが湧いてきた。



園芸、ビオラの寄せ植えをするのに苗が足らないので追加を買って植える。
さん来客。
       1,948歩






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by beyonyo | 2017-12-19 09:14 | 歴史散策 | Comments(0)



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安倍仲麻呂公望郷詩碑(榊獏山 書) 安倍文殊院 17,11、21

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安倍文殊院

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安倍仲麻呂を祀る金閣浮見堂

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先日苦難していった艸墓古墳が安倍仲麻呂摩が埋葬されていると言われている。




園芸、花の終わった菊の整理。高島屋に行く。
Hさん夫婦来客。
          3,349歩









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by beyonyo | 2017-12-16 04:06 | 歴史散策 | Comments(0)