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beyonyoの旅日記

beyonyo.exblog.jp

出歩くのが大好きなbeyonyoの写真の記録

カテゴリ:歴史散策( 217 )

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                  能勢妙見山  18,9,26


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                           日蓮宗の霊場

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                    信徒会館「星嶺」

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                       鳥居付近

          能勢妙見山の歴史

750年頃 行基菩薩が開闢
1028~1037年 能勢氏の先祖、源頼国が能勢入部
1580年 22代目能勢頼通が謀殺、弟の能勢頼次が23代目へ
1582年 本能寺の変
1600年 関ヶ原の戦い
1603年 妙見大菩薩を祀る 能勢妙見のはじまり
1626年 能勢妙見開基 能勢頼次死去
1941年 真如寺所属の仏堂となる
(妙見山ホーム頁引用)

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                          能勢頼次の銅像

何十年前か一度来たことがあったが、今回豊能のコスモスの花を目的で来て急きょ能勢に寄り道した。
いろいろ歴史の知らなかった事が新しく勉強になった。
以前来たときはトンネルを超えて参道道に入った記憶があったが、今回は豊能方面からの参道で山頂にたどり着いた。
帰りそのトンネルを通りたいので回り道をして通過した。
昔そのトンネルの横が「しおき場」であり今も処刑された無念の霊が出る心霊の有名なスポットになっているらしい。
昔はこのあたりの地名を「生首場」「地獄谷」と呼ばれたらしい。
再び来ることはないだろうが、阪急電車で来てケーブル、リフトに乗りついで来るのも趣があって良いかと思う。以前と違ってハイキングコースになっていて少ないが秋のハイカーと出会った、以前は土産物店が軒を連ね賑いだったが今は鳥居前にひそかに一件あるのみで寂しい散策であった。


お墓参り、午後、メダカの置き場に雨でメダカ鉢に雨水が入らないように古い波板でひさしを作る。
                   4,901歩




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by beyonyo | 2018-10-07 07:02 | 歴史散策 | Comments(0)
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              四条畷の山  イオンモール駐車場 18,9,22

突然気が向き四条畷イオンモールに出かけ「小楠公楠正行」の終焉地付近を望み以前歴史散策のあとを思い出した。


菊の手入れ支柱、消毒、葉狩など、苔を採取して杜松の石付を作る。
                        2,742歩


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by beyonyo | 2018-09-24 02:55 | 歴史散策 | Comments(0)
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                  国宝般若寺楼門  奈良 18,9,9

           奈良坂付近を散策中、偶然楼門の前に出た車中より



8時採血、2時定期検診、採血の結果良く20日5回目の抗がん剤投与決定。
水甕の蓋が腐敗し新しいのを作る。
ばんばん、西友に行く。H,K(現町会長)さん来客。
                7,420歩


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by beyonyo | 2018-09-14 05:04 | 歴史散策 | Comments(0)
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天平橋  奈良佐保川 18,9,9

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佐保川天平橋より大仏殿遠望

奈良を代表する河川で、万葉集の歌枕として有名な佐保川。
5キロに渡り途切れない桜並木の名所。江戸時代末期、奈良の名奉行として「川路聖謨(カワジトシアキラ)」が植えさせた桜樹齢170年ほどの立派なソメイヨシノ「川路桜」が残り情緒風情が残っている。



ウォーキング中雨になりほとんど休養の一日。
エデオンに仏具の電球、コノミヤに買い物。
5,416歩




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by beyonyo | 2018-09-11 04:47 | 歴史散策 | Comments(0)
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女人高野・慈尊院にて  九度山 18,9,2

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慈尊院 弘仁七年(816)弘法大師政所として伽藍を創建したのが縁起。
その後四国の善通寺から訪れてきた大師の母、玉依御前が滞在し、女人結縁の寺として知られ世界遺産に登録されている。

(孫姉妹を案内する。)



盆栽棚完成。オオクワに買い物。
Hさん夫婦、Iさん来客。
6,564歩






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by beyonyo | 2018-09-09 06:05 | 歴史散策 | Comments(0)
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                 西国三十三札所への道  天野山・金剛寺境内 18,4,6

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                西国三十三・まき尾山~ふじ井てらの当時の道しるべ

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                      道しるべ碑は昔は此の下にあった

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                           旧街道

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                        現在の街道より見下ろす





園芸、紫蘭、クリスマスローズ植え替え、
メダカ卵採取、稚魚整理。
Yさん来客。
                3,824歩
 

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by beyonyo | 2018-05-26 09:05 | 歴史散策 | Comments(0)
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               後南朝最後の古戦場跡  川上村寺尾塩谷 18,4,13

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R169号線沿いの大滝ダム西岸にありダムに沈んだ集落は寺尾村塩谷と呼ばれており、長禄元(1457)年12月2日に南朝の後胤で南帝となるべき自天王の宮を足利幕府の蜜命を受けた赤松家遺臣らによって、上北山村滝川寺北山御所で襲撃し、宮の御首と神爾を奪って京都に逃げ帰ろうとした敵集団を撃墜せんとこの地に集まった川上郷土士との間に激しい戦いが行われた「長禄の変」の古戦場である。

湖底に沈んだと言われる以前の岩碑はすでに昭和34年の伊勢湾台風の時、激流に流され失ったと聞く。




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          帰り道通り過ぎたが、なんとなく気になり引返したら「後南朝」の遺跡だった。

上北山村の龍川寺は小僧の小処温泉に行くところに在り最後の宮跡であることを知り、いつか訪ねてみたい。



小屋根のトユウに花びらや木の葉が詰り、先日の夜中の雨で水が溢れたので掃除する。
園芸雑用の中で、汲み置きの甕の蓋も修理する。
国華園に花を見に行くが、買わずに帰る。
                    3,777歩



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by beyonyo | 2018-04-17 07:58 | 歴史散策 | Comments(0)
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                          三之公への道  川上村  18,4,13

入之波温泉からさらに奥へ昨年、湧水を汲みに行って、まだ奥に分かれ道があり郵便配達の人が走っているのを見た。
入之波温泉を過ぎると家はなく人里離れ大迫ダムを遡る。

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                大きい岩がせせり出し左は大迫ダムの険しい道が続く・・・

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                    冬に備え薪の燃料が貯蔵され人の気配が感じる

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                   ここまで来ると大迫ダムの最南端らしく沢になっている

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このあたりに一軒家がありその先はさらに道が細く一見人が出入りしたことが無いような気配、落石も小さい石だが道に落ちている。
危険を感じ勇気を出してユーターン、何度も切り替えしバックするブザーの音に窓からお婆さんが何事かのように見ている。
早速この先 「三之公」までの距離を聞くともうすぐらしいが、最近は人が行かないとの事。
後返りしたのは正解だった。

「後南朝」
何も知らずに大自然に触れるのを楽しみに言ったが、又、歴史の一端が繋がったドライブになった。
大台ケ原の山中に、「三之公」という変わった地名に謎を感じ調べると、南北朝時代、鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇が1336年足利尊氏に敗れて吉野に逃れ、足利氏京都に立てた北朝に対抗して南朝を開いたのが始まり。
1392年三代将軍義満の時に南朝の後村上天皇が、北朝の後小松天皇の次は南朝から天皇を出し、以後後呉に皇位を継承する約束になっていたが、こういう約束が守られた験しはなく、後小松天皇の次は、その子の称光天皇が即位した。
怒った旧南朝の後亀山天皇らが再び吉野に移り、南朝を「再興」した。これが「後南朝」である。

後南朝は曲折を経て追い詰められて行くが後亀山天皇の曾孫に当たる尊義王とその子尊秀王(自天王)忠義王の3人は川上村の山奥に居を構え最後まで抵抗したという。
当時の人は此の三人を三之公(皇)と呼んで敬い、これが地名になったと伝えられる。

三人の終焉地は、更に徒歩で2時間奥にあるらしい。

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                     かくし平・八幡平にある碑とお墓
                      (川上村ホーム頁より引用しました)

思わぬ「後南朝」の歴史に出会い現地には行けないがロマンを感じる小さい旅であった。



雨の一日で15:00まで骨休み。
今年初めてメダカの卵366個採取。
                 1,269歩














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by beyonyo | 2018-04-16 07:29 | 歴史散策 | Comments(0)
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天野山・金剛寺 18,4,6

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鎌倉時代 増長天立像   鎌倉時代 持国天立像 

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金堂

九年がかりの修理を終えて先日落慶法要が行われたので行ってみた。

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昨年三体で国宝になった。

左、木造降三世明王座像 中、木造大日如来坐像 右、木造不動明王座像
大日如来を中心としたこの三尊像は金堂に安置されているもので、大日如来は平安時代、脇侍の不動・降三世明王は鎌倉時代で仏師行快の作である。
智證大師請来の尊勝曼荼羅を極めて忠実に立体化して表現されたもので、他に類例を見ない。

駐車料、入山料、ボランティア料、仏像はさらに拝観料800円がいるのであきらめる。

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食堂(重要文化財)
一名天野殿と呼ばれ、後村上天皇が正平9年から14年(1354~59)に至るまで、正庁とされた建物。
鎌倉時代の創建で、一山大衆の食事を行ったり研究したりするための道場。






朝一からメダカの水替え、夕方までに今年卵を取る七種類の準備、昨日朝入れた産卵用シュウロには早くも一番子の卵を見る。
花菱の楓入り万年青を植え替え持って行く。
3,075歩


 


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by beyonyo | 2018-04-11 07:53 | 歴史散策 | Comments(0)
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              舞鶴赤レンガパーク   北吸桟橋 18,3,23 


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レンガ建物は12棟あり旧海軍舞鶴鎮守府の軍需品等の保管倉庫として明治35~36年に建てられたもの。
これらの倉庫の内8棟が平成20年国の重要文化財に指定された。
平成24年「舞鶴赤レンガパーク」としてオープンされ、舞鶴の歴史・文化・観光情報などが集まる場所として市民が集い賑わっている。

此の場所の付近400~500mの所にsarubiaの両親のお墓があり約50年間この場所に来ているのにまだ一度も中に入ったことがない、次回は時間に余裕をもって見学したい。



園芸、冬から春に模様替えで忙しい一日だった。
車の洗車、コノミヤ銀行など外出。
夕方ウオーキング。
                    5,791歩



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by beyonyo | 2018-03-27 08:29 | 歴史散策 | Comments(0)