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beyonyoの旅日記

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出歩くのが大好きなbeyonyoの写真の記録

<   2018年 04月 ( 19 )   > この月の画像一覧

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                    のらちゃん  18,4,4


葉菜の森に野菜買、和泉市の久保惣記念美術館にsarubiaの友人の仏画展示を見に行く。10時会館まで40分あるのでビバホームセンターに挿し芽用促進剤を買いに行きそのあと入館する。

15:00から小品盆栽の鉢を乾燥を避けるため土に埋める。
早朝3:40分に起床、日中の暑さも手伝い疲れた。
                      4,911歩



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by beyonyo | 2018-04-22 06:55 | のらちゃん | Comments(0)
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                      光厳天皇分骨所  金剛寺 18,4,6

                      南北朝時代の北朝初代の天皇

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光厳天皇陵は京都の常照皇寺の後山で火葬されそのまま陵とした。
なお分骨所がここ河内長野市天野町の金剛寺、髪塔が嵯峨天龍寺の金剛院にある。

後伏見天皇の第一皇子。
母は広義門院。御名は量仁、法名は勝光智。
後醍醐天皇の皇太子となり北條高時に擁立されて践請されたが、北條政権の滅亡により退位し太上天皇となられる。
のち足利尊氏の要請で弟光明天皇が即位されると光厳院は院政を開しされた。
のち南朝軍の京都進出によって捕えられ落飾され禅道に入られて夢窓疎石に帰依された。
正平・貞治3年(1364)崩御52歳。

               北朝・光厳天皇 行在所 こちらから 


9:00sarubiaを病院皮膚科、内科に検診に送り、ホームセンタームサシに花の苗を買いに行く。
午後、手術ごの検診泌尿器科に検診、順調に回復しているとの事だった。
井上さん来客。
                  5,102歩
                 



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by beyonyo | 2018-04-21 07:21 | 歴代天皇陵巡り | Comments(0)
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               イノシシとの出会い 奈良県竹之内街道  18,4,18

夕方18時過ぎ奈良県と大阪府の県境にある竹之内街道の「峠の茶屋」付近で草むらから出たところに動く物体を見た。
一瞬タヌキが車に跳ねられたように見えた、近づいてみると生きているイノシシの子供だった。

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                 峠の茶屋跡に駐車し50mほど下り撮影

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傍まで近づき撮れたことはラッキーだった、この後草むらに戻り居なくなる。

過去ウサギ、タヌキ、狐、鹿,サルなどの出会いはあったがイノシシとの出会いは初めての事。




園芸、スイレン鉢の水替え、ミニ盆栽の吊り棚を設置。
            2,980歩






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by beyonyo | 2018-04-20 07:08 | Comments(2)
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                 石付キランソウ  18,4,13



9:30奈良散策、旧大仏駅、少年院刑務所、石のカトラ古墳など17:50帰宅。
                   7,452歩


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by beyonyo | 2018-04-19 09:30 | Comments(0)
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                       観月亭  天野山金剛寺  1965,6,12
                           井上喜代一氏のスケッチ

大和賀名生から逃れて、摩尼院に行宮された後村上天皇は、配所のわびしさに亭をつくり、月を賞で、詩歌の風流をおわれたとしても、かえってあわれというべきである。

中秋の名月は、おそく、九時をすぎて、まむかいの鎮守の森の高いいただきのかかる。
楼門や多宝塔の影を、青白くうつして、心なしかじつにわびしい。
                     井上喜代一 文

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観月亭
御影堂は寺再興の初期ごろに高野山から移してきた弘法大師の御影をお祀りしているところです。
南朝の天皇をお迎えしたのち、天皇をはじめ公卿ら側近の文官はここでも御歌会を催されました。

御影堂の一部を改造して付け加えたところが観月亭です。
国政を延喜天暦の昔にかえそうという理想を掲げられた後醍醐天皇でしたが、その遺志を受けて後村上天皇も、平和裡に京都への遷幸を望まれます。
しかし行宮にいて思い出されたのが天暦年間に勅命に正平十一年一月と三、四月に和歌の会が催され、この時の和歌を含めて、南北両朝分立の元弘元(1331)年から弘和元(1381)年の五十年間にわたる南朝方の歌を宗良五撰で一四二〇首集成しました。
「新葉和歌集」二十巻がこれで、長慶天皇により準勅撰集となりました。

都を遠く離れた僻地で詠まれたので素直な感情を表した作品が多く、中世和歌史上特異な存在と評価されたいるようです。


         君住めば 峰にも尾にも 家居して深山ながらの 都なりけり

この一首はこの歌集の代表作といわれています。現在は御影堂及び観月亭が一体化され重要文化財の指定を受けています。
             史跡案内  南 昭雄  文


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                           御影堂より大門を望む


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6年前続けていた、「かわちながの百景」天野山・金剛寺金堂の修理でできなかったが3月27日落慶法要が行われて南北朝時代の一コマに添えることが出来た。


園芸、雑用
           1,504歩






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by beyonyo | 2018-04-18 08:06 | かわちながの百景 | Comments(0)
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               後南朝最後の古戦場跡  川上村寺尾塩谷 18,4,13

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R169号線沿いの大滝ダム西岸にありダムに沈んだ集落は寺尾村塩谷と呼ばれており、長禄元(1457)年12月2日に南朝の後胤で南帝となるべき自天王の宮を足利幕府の蜜命を受けた赤松家遺臣らによって、上北山村滝川寺北山御所で襲撃し、宮の御首と神爾を奪って京都に逃げ帰ろうとした敵集団を撃墜せんとこの地に集まった川上郷土士との間に激しい戦いが行われた「長禄の変」の古戦場である。

湖底に沈んだと言われる以前の岩碑はすでに昭和34年の伊勢湾台風の時、激流に流され失ったと聞く。




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          帰り道通り過ぎたが、なんとなく気になり引返したら「後南朝」の遺跡だった。

上北山村の龍川寺は小僧の小処温泉に行くところに在り最後の宮跡であることを知り、いつか訪ねてみたい。



小屋根のトユウに花びらや木の葉が詰り、先日の夜中の雨で水が溢れたので掃除する。
園芸雑用の中で、汲み置きの甕の蓋も修理する。
国華園に花を見に行くが、買わずに帰る。
                    3,777歩



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by beyonyo | 2018-04-17 07:58 | 歴史散策 | Comments(0)
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                          三之公への道  川上村  18,4,13

入之波温泉からさらに奥へ昨年、湧水を汲みに行って、まだ奥に分かれ道があり郵便配達の人が走っているのを見た。
入之波温泉を過ぎると家はなく人里離れ大迫ダムを遡る。

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                大きい岩がせせり出し左は大迫ダムの険しい道が続く・・・

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                    冬に備え薪の燃料が貯蔵され人の気配が感じる

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                   ここまで来ると大迫ダムの最南端らしく沢になっている

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このあたりに一軒家がありその先はさらに道が細く一見人が出入りしたことが無いような気配、落石も小さい石だが道に落ちている。
危険を感じ勇気を出してユーターン、何度も切り替えしバックするブザーの音に窓からお婆さんが何事かのように見ている。
早速この先 「三之公」までの距離を聞くともうすぐらしいが、最近は人が行かないとの事。
後返りしたのは正解だった。

「後南朝」
何も知らずに大自然に触れるのを楽しみに言ったが、又、歴史の一端が繋がったドライブになった。
大台ケ原の山中に、「三之公」という変わった地名に謎を感じ調べると、南北朝時代、鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇が1336年足利尊氏に敗れて吉野に逃れ、足利氏京都に立てた北朝に対抗して南朝を開いたのが始まり。
1392年三代将軍義満の時に南朝の後村上天皇が、北朝の後小松天皇の次は南朝から天皇を出し、以後後呉に皇位を継承する約束になっていたが、こういう約束が守られた験しはなく、後小松天皇の次は、その子の称光天皇が即位した。
怒った旧南朝の後亀山天皇らが再び吉野に移り、南朝を「再興」した。これが「後南朝」である。

後南朝は曲折を経て追い詰められて行くが後亀山天皇の曾孫に当たる尊義王とその子尊秀王(自天王)忠義王の3人は川上村の山奥に居を構え最後まで抵抗したという。
当時の人は此の三人を三之公(皇)と呼んで敬い、これが地名になったと伝えられる。

三人の終焉地は、更に徒歩で2時間奥にあるらしい。

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                     かくし平・八幡平にある碑とお墓
                      (川上村ホーム頁より引用しました)

思わぬ「後南朝」の歴史に出会い現地には行けないがロマンを感じる小さい旅であった。



雨の一日で15:00まで骨休み。
今年初めてメダカの卵366個採取。
                 1,269歩














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by beyonyo | 2018-04-16 07:29 | 歴史散策 | Comments(0)
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                  いすみ鉄道 (mari撮影)  18,1,3

千葉県房総半島のいすみ市大多喜町を走る路線で、大原駅から上総中野駅まで全14駅所要時間は約50分ほど、2009年から「ムーミン列車が運行」春は菜の花畑を走る風景が美しいらしい。


メダカの中ケースの掃除、光線が入りグリンウオーターになるので、簾を天井に張。
午後、田中来客。
                2,141歩


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by beyonyo | 2018-04-15 07:18 | 房総半島の旅 | Comments(0)
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                     タツナミ草  18,4,13

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         秋の山野草展で買ったのを冬十分管理したら待望の花を見た。



園芸、サンレモクインの挿し芽を植え替え。午後から大台ケ原川上村三之公に行く。
久しく秘境をドライブできた。

出発12:00 帰宅18:33 走行距離144km
                 3,515歩


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by beyonyo | 2018-04-14 09:14 | 花と盆景 | Comments(0)
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                     舞鶴港  18,3,23




園芸、菊の今年の挿し芽にする穂は少ないので虫の害を避けるため鉢を家の中に取り入れる。
ムサシに山椒の木を買いに行く。
園芸用肥料駕籠、メダカの浮草を買う。
                       3,800歩






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by beyonyo | 2018-04-13 11:10 | 雲のある風景 | Comments(0)